自分のペースを大切にすること。
相手のペースに合わせることが優しさなのではない。
あなたにとってあなたのペースは正しい。
かといって、それがあなた以外の全員にとって正しいペースなわけではなく、よかれと思ってのことであっても、相手を自分のペースにあわせるよう仕向けることは、優しさではない。
同時に、あなたが相手のペースに合わせないことは、あなたが冷たい人だということにもならない。
もし相手にそれを期待されているとしても、自分のペースを守るということも含めて、それはあなたの領域であって、あなたがその境界を守ることは誰かに否定されるものではない。
あなたはあなたのペースを守っているときに、あなたらしい美しい音楽を奏でることができている。
それはレコードの回転数と同じこと。
誤って、レコード側とプレーヤー側で違う回転数で再生してしまったとき、ピッチが変わっておかしな音で鳴ってしまい、一種の面白さはあっても、長く聴き続けることは快適とはいえないだろう。
回転数が違うもの同士をあわせると、お互いに、本当に響かせたい音色ではない音を発し続けてしまうことになる。
そしてその状態が長く続けば、音質が悪くなってしまうだけでなく、いずれはレコードと針も壊れてしまうだろう。
良かれとも思って相手に合わせていても、いずれは関係が壊れてしまうし、あるいはあなた自身が摩耗し壊れてしまうことになる。
一方で、回転数の異なるものを意図的に当てるという行為に研磨がある。
高速で回転する鋭い硬い刃にモノを当てれば、当てたほうのモノが研磨される。
一時的に意図をもって、自分よりも硬い、そして回転が早いものに触れることで、研ぎ澄まされたり、輝きが増したり、表に見えていなかった美しいものが現れてきたりする。
そんなふうに、時には自分よりもペースの早い人に触れることで切磋琢磨するのもいいだろう。
しかしこれはあくまで意図的に行うものであって、双方が削り磨き出すということに合意しているのが前提である。
どちらかがどちらかのペースに無理やり合わせ続ける、そのペースに触れ続けるということは、健全ではない。
無自覚に相手のペースに合わせてしまっていないかどうか、常に確認するように。