プロジェクトへの貢献をどのように評価するかは、重要かつ困難な課題です。特に、公共財への資金提供に関しては、Impact certificates (以下では、インパクト証書と訳する)がインパクトの評価仕組みとして提案されています。
インパクト証書は、プロジェクトへの貢献を明確化し、そのインパクトの貢献者を支援するために提案されました。Hypercerts Foundationによって**Hypercerts**として構築され、Gitcoinを通じた寄付者への証書として利用されています。
プロジェクトを直接支援するだけでなく、間接的に影響を与えたアイディアやプロジェクトを表現する"引用"という行為は、学術界で広く活用されています。しかし、インパクト証書において、このような間接的な影響を組み込む仕組みについては、十分に考慮されてきませんでした。
ここで、私は**インパクト引用 (Impact Citations)**という概念を提案します。これは、インパクト証書やアイディアに関する情報を、インパクト証書に直接埋め込んで参照可能にする仕組みです。これにより、プロジェクトへの直接的な貢献だけでなく、間接的な貢献を検索可能にし評価することが可能となります。
以下の文章では、インパクト引用がなぜ重要なのか、詳しく説明します。まず、Hypercerts foundationなどが取り組むインパクト証書の概要を紹介します。次に、学術研究における引用の役割について説明します。これにより、引用がインパクトを評価するための技術であることを明らかにします。その後、インパクト引用の具体的な内容について述べ、最後に、インパクト引用の潜在的な可能性と課題について議論します。
2014年に、Paul Christianoは、”Certificates of Impact”というブログ記事において、効果的な寄付を促す仕組みとしてその構想を明らかにしました [1]。
インパクト証書は、公共財への支援や開発によるプロジェクト貢献を明らかにし、それらの活動の実績として利用することができます [2]。インパクト証書を利用することで、活動やプロジェクトが生み出したインパクトの効用を算出し、評価した上で、事後的に貢献者に資金提供することが可能になります。これにより公共財の開発者もしくは貢献者たちを、生み出されたインパクトに基づいたより少ないリスクで支援することを可能にします。
実績に対して事後的に資金提供を行う仕組みは、レトロアクティブ・ファンディング [2]と呼ばれ、長寿研究にファンディングを行うVitaDAOが実施しているLongevity Prizeなどいくつかのモデルが提案されています。
インパクト証書を活用したレトロアクティブ・ファンディングが活性化されることで、以下のメリットがあると言われています。
不確実性はあるものの、潜在的に大きな影響力を持つ公共財のプロジェクトを引き受ける動機を公共財の開発者に提供できる。
事後的に成功した結果を割り出すことで、効率的に公共財の構築を促す市場を作り出す。
また、資金提供者は、レトロアクティブなインパクトを購入し資金を提供するのでしょうか?Brammerによれば、いくつかのモチベーションがあります [3]。
名声: Bitcoinのホワイトペーパーやノーベル賞の元となった研究ノートに関するインパクト証書を保有するだけでも名誉あることだと想像できます。実際UCバークレーがOB向けに行なったチャリティイベントでは、ノーベル賞受賞者の研究ノートに関するNFTに対して高額な寄付が実施されました。これらの特定の名声だけなくとも、様々な活動への持続的な支援をすることの価値もまた大きいでしょう。
レトロアクティブ・ファンディングへの理解と誓約: レトロアクティブ・ファンディングの仕組みを理解し、資金を提供すると誓約することは、資金提供者自身の決意を表現することができます。スマートコントラクトを通じて実際に実施されることで資金提供者と開発者の信頼関係の構築に役立つとされています。
これまでみたように、インパクト証書は、インパクトを可視化することで、レトロアクティブ・ファンディングを活性化させ積極的に公共財を支援することを目的としています。特にHypercerts foundationでは、インパクト証書をHypercertsとして実装しインパクトマーケットの構築を進めています。
プロジェクトへの貢献は、これまで述べてきたような直接的なものだけでなく、その文脈や手法にも根ざしています。しかし、既存のインパクト証書では直接的な貢献を記述するだけで、これらの影響が十分に考慮されていませんでした。
インパクト証書に情報を組み込むことで、間接的に貢献したアイディアや手法も評価することが可能になります。このような実績の”引用”という行為は、学術研究ではスタンダードとなる指標であり、研究のインパクトを評価する主要な指標の一つになっています。
通常、学術論文では、研究結果とともに、そのアイディアが生まれた文脈、関連した研究、利用した手法などに関する別の学術論文を引用します。これにより、研究の文脈を明らかにしつつ研究がどのように進歩してきたかを明らかにし、他の研究者の貢献を明示することができます。また、研究が依拠した手法を明らかにすることで、研究自体の再現性を高め、学術的な信頼を構築するための役割を果たしています。
この引用が多いほど、ある学術論文が大きな影響を学術研究に与えた評価の指標として利用されます。さらに、引用回数が多い学術論文を公開する学術雑誌は**インパクトファクター(IF)**と呼ばれる指標によって影響度が計測されています。
googleが提供するgoogle scholarでは、学術的な論文を含むその他の学術リソースの大規模な索引データベースを提供しています。このサービスでは、特定の研究者やその業績についての情報を検索することができます。
Google Scholarの研究者プロフィールページには、その研究者の論文一覧と、それらがどれほど引用されているかが表示されます。学術論文が出版された直後はこのような指標は利用がしにくいため、個別に学術論文が評価されますが、長期的にその研究者が行った研究については、引用数であったりそれに関連したh-indexやi10-indexといった指標も使われます。研究の業績を評価するためには、このような引用回数を用いた評価方法も存在します。
一方で、学術研究の評価を引用のみを重視してしまうことにもいくつかの課題が存在しています。
引用数のバイアス: 一部の学術分野やトピックは他の分野よりも引用されやすい傾向があります。例えば、情報科学においては学術論文が出版される頻度も高く、引用もされやすい傾向があります。一方で、神経科学や分子生物学だと数年の歳月がかかるためそれほど多くの学術論文が出ない可能性もあります。したがって、引用数だけに注目すると、一部の分野における研究の価値が過大評価され、他の分野が過小評価されることがあります。
自己引用: 研究者が自分自身の過去の論文を引用することで、引用数を人工的に増加させることも可能です。これは、その研究者が生み出したインパクトを過大評価する可能性があります。
引用の質: 全ての引用が等しく有効なわけではありません。一部の引用は重要な貢献を認識するために行われる一方、他の引用は批判的な文脈で用いられます。引用数だけを見ると、その違いが見過ごされる可能性もあります。
ジェンダーバイアス: ジェンダーバイアスも指摘されています [4]。男性研究者は、男性研究者を引用する頻度が高く、女性が引用されにくい傾向もあるかもしれません。これは、ジェンダーバランスの問題も引用数に影響を及ぼすことを示しています。
これらの課題が存在しながらも、引用を用いたインパクト評価は、学術研究における重要な役割を担っています。
インパクト証書やそれに関連する学術研究などの情報を引用して別のインパクト証書に埋め込むことによって直接的な貢献のみならず、参照された別の貢献、アイディアや手法に注目することが可能になります。
間接的な学術の評価を示す例に、2008年にノーベル化学賞の受賞した研究、『緑色蛍光タンパク質(GFP)の発見』があります。受賞者の一人である下村脩 教授(ボストン大学名誉教授)はオワンクラゲからGFPの単離を成功させました。彼の研究は時を超え、Martin Chalfie 教授によって生命現象のトレーサーとしてGFPを活用する技術として欠かせない技術となっています。下村教授が発見したGFPのメカニズムを明らかにすることで、結果的にその活用方法の筋道を作る結果になりました。このような間接的な貢献は珍しいことではなく少なくとも研究においてはしばしば起こることです。このような間接的な貢献を可視化し支援する道筋を作ることで、よりインパクト証書の価値が高められるでしょう。
ここではインパクト引用に関する手順を説明し、効用と課題を挙げて紹介します。
インパクト引用に関する手順は単純で、ほとんど通常の仕組みと同じですが、以下で取り上げる1.と3.のような新たなステップが生まれます。
公共財の開発者は、ハイパーサートなどを通じてプロジェクトへの貢献を元にインパクト証書をクレームします。その際に、参考文献や関連情報などを埋め込むことができます。それは、別のインパクト証書を埋め込むことも可能であり、学術論文の引用に使われるような文献情報と対応させた識別子であるDOI (Digital Object Identifier)などの情報でも可能にします。
評価者は、通常のインパクト証書と同じように評価し、資金提供者は、プロジェクトに関わるインパクト証書を売買することができます。
さらに、資金提供者は、保有するインパクト証書の引用文献に基づいて影響を与えた文脈やアイディアを遡ることができます。そこで資金提供者は、支援に値する新たな技術やアイディアなどを発見することで、新たなインパクト証書を購入する動機を得ます。資金提供者はこの文脈の発見から新たなグラントを作成するかもしれません。
このインパクト引用の仕組みは、インパクト証書の効用を以下の観点から拡張することができます。
あらゆる貢献の背後には元となったアイディアや手法などが存在しており、それらに言及することは、インパクトを生み出した手法について透明性を高めることができます。これにより再現性がある形で別のプロジェクトでインパクトを生み出すことができ、公共財の持続的な構築に繋げることができます。また、貢献者が所属するコミュニティから手法を引用する場合もあり、その貢献を明らかにすることで信頼性を構築することができます。
インパクト引用は、想定を超えたインパクトを生み出した貢献者やプロジェクトを評価する方法を生み出すことができるかもしれません。インパクトを生み出した貢献者と、その貢献者にアイディアや技術を提供した人が必ずしも同じではないかもしれません。学術研究ではしばしば起こりますが、そのような場合、インパクト証書では、アイディアを生み出したり、技術を生み出した人を検索し評価することができません。インパクト引用を通して、間接的な貢献者やプロジェクトを検索し、支援することが可能になります。特に学術研究のような、社会に対するインパクトの評価が間接的である場合には非常に有効な手段になりうるでしょう。
インパクト引用は、インパクト証書を生み出した文脈を辿ることで、異なる文脈に資金が流れる理由を与えます。例えば、複数のインパクト証書を引用するインパクト証書や学術研究があるとしましょう。資金提供者は、そのような文脈を辿ることで歴史的な価値を感じるかもしれません。骨董品などのコレクターなどはそのような文脈を共有しコレクションを構築します。このような文脈に依存したインパクト証書のコレクションを集める動機が生まれる可能性があります。
一方で、学術における引用と同様の課題が生まれます。
インパクト証書の引用数に基づいて評価することは、バイアスを生み出す可能性があります。ある分野においては、引用されづらいプロジェクトやアイディアがあるかもしれません。そのような場合、引用数のみに基づいてアイディアや手法を評価してしまうと評価されづらいものも出てきてしまいます。
学術論文でもしばしば起こることですが、貢献者が自らのアイディアや貢献を引用して引用数を増やすことも考えられます。正当な理由なく過剰に自己引用を繰り返すことで、過剰にインパクトを水増ししてしまうこともできるため、インパクト引用を評価するには分散型IDなどを通じて自己引用について評価しないなどの指標の算出も可能にする必要があるかもしれません。
自己引用と並んで重要な課題に、引用の共謀があります。例えば、友人や研究のコミュニティメンバーの貢献をお互いに引用し合うことで、インパクト証書の引用数を水増ししてしまうこともできます。これはQuadratic Fundingにおける共謀の対策のような利害関係のある人たちの間での引用数を割り引くような仕組みなどを導入した評価指標の構築も必要かもしれません。
これらの間接的な貢献を評価するかは、寄付者や投資家に委ねられていますが、長期的にエコシステムへ貢献をした人や活動を見つけ出し評価することを可能にします。これにより新たな文脈を構築することで、インパクトマーケットはさらに拡大するでしょう。
学術論文という枠を超えて、インパクト引用は、貢献者や企業などが行ってきた間接的な影響を記述し評価することを可能にし、より長期的な貢献について評価するインパクトマーケットを構築することができるようになるのです。
この記事では、インパクト証書に、別の情報を埋め込むことで間接的な貢献を追跡可能にするインパクト引用という仕組みを提案しました。特定のインパクトを評価することは非常に重要である一方で、グラントを提供する資金提供者によって定められたプロジェクトのみが評価されやすい状況も作り出してしまう可能性もあります。
学術論文などといった公共財の構築においては、初期に考えられていた意図を超えて生み出されたインパクトを評価する仕組みも必要であり、インパクト引用はそのような評価基盤の拡張になるでしょう。
Ryuichi Maruyama氏にはアイディアに関する有益なコメントをいただいた。また本文章は、DeSci Tokyoの活動の一環として執筆した。本活動は、クラウドファンディングで特に以下の方々の支援を受けた。 Tomoaki Ando氏、ここのは氏、皆本祥男氏、野末馨氏、志水克大氏、原直誉氏、金井良太氏、野村章洋氏、平井靖史氏、林祐輔氏、佐藤優介氏、渡辺健堂氏、中澤亮太氏、関治之氏、木村亮介氏、丸山洋平氏、福岡大学商学部シチズンサイエンス研究センター、平野史生氏、松田祐典氏、一般社団法人ヒマラボ、道林千晶氏、一般社団法人ウェルネス評価研究開発機構、菊地秋人氏。
[1] Christiano, P. 2014. Certificates of Impact. https://paulfchristiano.medium.com/certificates-of-impact-34fa4621481e
[2] Optimism. 2021. Retroactive Public Goods Funding. https://medium.com/ethereum-optimism/retroactive-public-goods-funding-33c9b7d00f0c (オプティミズム. Yuriko Nishijima (訳) レトロアクティブ・パブリックグッズ・ファンディング. https://medium.com/@yurikonishijima/レトロアクティブ-パブリックグッズ-ファンディング-18b112d7859c)
[3] Brammer, H. 2022. Hypercerts: A new primitive for public goods funding. https://protocol.ai/blog/hypercert-new-primitive/ (ブラマー. Fracton Ventures (訳) ハイパーサート:公共財への資金提供のための新しいプリミティブ. https://mirror.xyz/0xF5CA53792C47e3a0792380292D15c894097015fF/_HTDmPnphXXVdHVsKPJghVoVdsSVR72cHolcT9cbINE)
[4] Teich, E.G., Kim, J.Z., Lynn, C.W. et al. Citation inequity and gendered citation practices in contemporary physics. Nat. Phys. 18, 1161–1170 (2022). https://doi.org/10.1038/s41567-022-01770-1