Plurality Tokyoを開催します

“Plurality”とは、一元論、二元論ではなく多元論多義性多相性を持ち、中央集権ではなく非中央集権、専制政治ではなく民主主義、画一性ではなく多様性をステートメントとする、**「統治技術」**の1つです。

仮想通貨や暗号通貨だけの枠には規定されない、”Plurality”の概念を日本語圏の思想や取り組みと結びつけるために、1day conference「Plurality Tokyo」を開催します。

Pluralityの解釈

このPluraliyという言葉は形容詞として英語に存在し、”複数のものから成り”、単数でもないを表す。

あるいは、「singularity(シンギュラリティ)」の意味を取る、“すべての平行線が交わる点”の反対という解釈も出来るでしょう。

この、”Plurality”を統治技術として解釈する現代思想の試みが始まったのは、(いわゆる「概念をエンジニアリング」され出された)台湾のデジタル大臣でもある、Audrey Tangからでした。

  • VR(バーチャルリアリティ)は人との触れ合いを代替するものではなく、鉛筆と紙、電話など過去の延長線上に位置する

  • 時間の次元を超越する

  • 物理的距離から解放する

  • 技術発展によって、参加ハードルが下がったデジタルコンセンサススペースは、多くの人の視点と文化背景のバランスをとることができる

“IoT(Internet of things)"を見たら、インターネットのあり方(Internet of Being)にしよう。

“VR(仮想現実)”を見たら、それを共有現実(shared reality)にしよう。

“機械学習”を見たら、協調学習(collaborative learning)にしよう。

“ユーザーエクスペリエンス”を見るときは、人間の体験(human experience)についてにしよう。

“シンギュラリティが近い”と言われても、複数がある(plurality is here)ことを忘れないでください。

この文章を日本語に訳すのはとてもむずかしく、”文脈を把握して日本語に訳す”プロセスそのものもこの国の言語を発展させるので、ぜひ本文を読んでほしい。

そして、「Plurality: Technology for Collaborative Diversity & Democracy」という文章がRadical x Changeに投稿された。

著者は台湾のデジタル大臣のAudrey Tangと、Microsoft ResearchのDecentralized Social Technology Collaboratoryで、Research Leadを務める Glen Weyl

  • オードリーは、現実世界におけるスケールの大きなオープンガバナンスのリーダーです。台湾では、オープンソース技術、コミュニティ参加、web3インフラをベースに、オープンなガバナンスと公の場での議論のための様々なシステムの構築に貢献してきました。特に、オードリーのデジタルアフェアーズ省は、IPFSのアクティブなユーザーです。彼女の努力は、市民主導の政策立案から、台湾で流行しているCOVIDの効果的な管理まで、大きな影響を及ぼしています。これらの取り組みにより、今では有名なvTaiwanシステムが生まれ、台湾は最も革新的なデジタル民主主義国家というステータスを獲得しました。

  • グレンは、多元的で包括的かつ民主的なコミュニティを構築するためのテクノロジーとメカニズムの領域における先駆的な仕事で知られています。彼は、Quadratic Votingや、分散型社会のアーキテクチャ構成要素といったアイデアの導入と管理を支援してきた。

    現在、オードリーとグレンは、Pluralityのコミュニティを構築するための青写真を一つの本として記録するプロジェクトを進めています。私自身も日本語訳に貢献してるので、ぜひご覧ください。

さてこのタイトルを直訳すると、「多様性と民主主義のためのテクノロジー」という意味だが、”Technology”という単語だけ取ってもかなり解釈は多義に分かれる。

文部科学省の説明では、古典ギリシャ語の、"τεχνη"(テクネー)(=「わざ」的なもの全般を指す語に由来すると書かれている。

「科学」と「技術」、「科学技術」について

  • 語義: 物事をたくみに行うわざ。技巧。技芸。  科学を実地に応用して自然の事物を改変・加工し、人間生活に利用するわざ。(広辞苑)

  • 語源: 英語の"technology"等の語は、古典ギリシャ語の、"τεχνη"(テクネー)(=「わざ」的なもの全般を指す語。ラテン語では"ars")に由来。今日的な意味での使用は、やはり19世紀半ば以降からであるとされる。

  • 近代的な技術の成立  技術の近代化についても各種の見方があるが、一般的には、18世紀後半からの産業革命(紡績機、蒸気機関等)と、19世紀後半からの第二次産業革命(重化学工業の発達)が重要な画期として位置づけられている。

https://navymule9.sakura.ne.jp/techne.html

「ギリシア語のテクネーは近代語のtechnique(英語)、Technik(ドイツ語) の語源にあたる語であるが、本来的、逐語的にはart(英語)、Kunst(ドイツ語)に相当する語である。すなわち、テクネーは、その語根teks-が「製作・建築」を表していることからもわかるように、芸術を も含んで広く技術一般を意味するのである。たとえば、絵画、彫刻などの諸芸術をはじめ、医学、建築法、弁論術、料理法などおよそ人為による所産に関してテ クネーの語が適用され、その意味では自然と対立することにもなっている。このように古代ギリシアでは、人間の制作活動一般に伴う知識や能力が尊重され、それら全体がテクネーの名 で統括されていたのである。

哲学者プラトンの『ゴ ルギアス』によれば、テクネーは単なる経験から区別されて、対象の本来的性質についての理論的知識(ロゴスlógos)をもつ働きを意味していた。 さらに彼は『ソピステス』において、この人間の理性的活動一般としてのテクネーを、 諸技術と芸術とに分類し、後者をとくに「模倣技術」とよんだ。これは、あ る実在的な事物を模倣すること(ミメーシスmímēsis)によって非実在的な模像を制作する活動であり、この模倣の概念は、芸術の本質規定としてアリストテレスに受け継がれている。


「多元宇宙」

https://www.plurality.net/
https://www.plurality.net/

「“Plurality”とは」という冒頭で、統治技術という単語を私は使った。

ここでいう統治技術は「支配の技術」ではなく、**“人は社会を作りたくないけど、作らざるを得ない”。ならばどのように、マシに、社会を作ることができるのか。**という東浩紀のルソー再読の立場から解釈できる。

ホッブスがリヴァイサンで**「万人の万人に対する闘争」という言葉で自然状態を定義した。ルソーは社会契約論で「人は国家に属する際に社会契約をし、一般意志のもとに統治される」**という社会契約を定義した。

ものすごく簡単にいうと、「どうすればより良い社会を作れるのか」を模索するのが統治技術なのだ。

現在、自分の悩みを表にだし、コミュニケーションを取ろうとする姿勢である「表象の政治」に関しては達成されつつあるでしょう。Twitterで日々、ああだこうだと色んな議論が飛び交っています。

いまリベラルは表象の政治についてばかり話していると言えませんか。「さまざまなマイノリティの苦しみや不満を表象しなければいけない」と言う課題をかかげていて、それは着々と実行されている。
でもそれで問題が解決するのかと言えば、けっしてそうは言えない
── そのときに、表象の政治とは別の、統治技術についての議論が必要になる

https://cir.nii.ac.jp/crid/1522543656119639680

しかし、実行に必要な具体的な議論(統治技術)はどうでしょうか。Twitterで呟いて世界が変わったでしょうか?

今必要なのは、具体的な行動であり、実験であり、歴史から学び、未来から振り返ったときに正統性のある失敗をすることです。

統治技術

そこで、フーコーの「統治性」と訳されるGovernmentalityには、mentalitéという言葉が含まれており、読んでいくと”Governmentality“という言葉で「統治性(統治技術)」と「統治心性(統治理性)」という意味を含蓄させていることがわかる。

統治の技(art of government)

統治の方法(the "how" of governing)(つまり、私たちがどのように行動し、ふるまうかを指示する計算された手段)

政府の合理性(governmental rationality)

理性的な最善の統治と同時に反省する行為(The "reasoned way of governing best and, at the same time, reflection on the best possible way of governing)

https://en.wikipedia.org/wiki/Governmentality

この「統治技術」に関して、日本語では**”政府(社会)および政府(社会)の実践についての思考方法”**と解釈できる。

政府の誕生と一般意志の下の統治

では、政府はどこから生まれるのだろうか。

トマス・ホッブズやジョン・ロックと並び、ルソーは、近代的な「社会契約(Social Contract)説」の論理を提唱し、社会契約一般意志なる意志による政治社会の理想を論じた。

国家と社会契約を結び、国家から公共サービスを享受するために、市民は一般意志の名のもとに統治される。つまり、人は国家を作り国家に縛られているのだ。

個人への最適な意思決定に対するクレームを捨てて、一般意志を優先すること

「各々の人がそれぞれの私利私欲を追求すれば社会が崩壊するでしょう」

人々が契約を交わして共同体を樹立(社会契約)において約束は一つだけ、“これまで持っていた特権と従属を共同体に譲渡して平等な市民として国家の成員になること”。

ルソーは、各構成員は共通の利益を志向する「一般意志」のもとに統合されるべきだと主張した。

一般意志は共同体(国家)の成員である人民が総体として持つとされる意志のこととされ、一般意思、普遍意志とも言われている。

日本語圏では老人を集団自害させるかどうかが話題だが、考えるべきは統治技術であり、増え続ける社会保障費と、減り続ける労働人口を具体的にどう解決するかが全てだ。

それならば、一般意志をパレート最適(Pareto efficiency)だと解釈するようなステートメントは書けるか?

パレート最適とは、ある状況を改善させるには,他の状況を悪化させないといけない状態のことであり、政府が再配分政策を行うことで,パレート最適な配分を達成できると古典経済学と理解されてきた。

日本の社会保障はどうする?大きな政府でも小さな政府でもなくパレート最適な政府を作りたい。むしろそれが政府が行うべき、たった一つのイデアであろう。

表象ばかりしても仕方ない、政治家も哲学者も表象ばかりをしてきて、どう世界は変わったのか?なぜ日本にはLawrence Lessigがいない?自分たちでやるしかない。

複雑な意見を複雑なまま解釈し、実行(執行)できるまで整える。そんな夢のような技術が、台湾ではすでに行われている。

古代ギリシアの都市国家(ポリス)と同じ読み方の「Pol.is」はデジタル空間の熟議ツールだ。

2023年1月にUC Berkeleyで行われた「Plurality Conference」にも登壇していたPol.isの
founderであるColin Megillは「より良い言論→より多くの情報を持つ公務員→より良い法律を」というステートメントを掲げている。


Pol.is

「表象の政治」というと、ソーシャルメディアの分析をすることで多くの人の意見を吸い上げられるのではないかと思う人もいるだろう。

しかし、フィルターバブルと言われる同じ視点の人でしか意見を交換しなくなるのは実際に証明されている。

ソーシャルメディアと同じように、コメントを書きに来ることができました。この部分は変わりませんが、pol.isでは、返信はできません。他の人がどんな考えを持っているのか、関わるには賛成と反対、そしてパスするしかないのです

考えてみれば、10万人のスタジアムで、向かいの誰かに直接話しかけられたら、他の誰かに話しかけられたら、この情報構造はたちまち壊れてしまいますよね。荒らしは、この情報構造がいかに壊れているかを私たちに気づかせてくれました。基本的に、規模が大きくなればなるほど、返信はうまくいきません。私たちは返信を廃止しました。これはコアであり、基盤の一部なのです。

返信をなくすと、とても特別なものが手に入ります。それは、行列を得ることです。pol.is内のデータがどのようなものか、見てみることができるのです。複雑なものではありません。すべての参加者が、すべてのコメントについてどう考えているかがわかるのです。参加者を探して、賛成なら賛成、反対なら反対、パス、コメントなら、この人は賛成、この人は反対、この人は賛成、この人は反対、と見ることができます。

人間はこれを分析するのがあまり得意ではありません。しかし、これはスケールアップすると、機械はこれを分析するのが得意になります。あなたはいつもこれを利用しています。あなたは気づいていないかもしれませんが、そうなのです。Netflixは、すべての映画、すべての視聴者を見ることができます。映画を評価するたび、商品を購入するたび、あなたはデータを作っているのです。例えば、コメディが好きな人、ホラーが好きな人、コメディとドキュメンタリーが好きでホラーは嫌いな人、コメディとホラーが好きでドキュメンタリーは嫌いな人、といった具合に、クラスターを特定します

行列を扱うと順列の数は膨大になりますが、最終的にはいくつかのコアなコメントに集約されるのが一般的なので、意外と突破口はあるものなのです。

pol.isで行われている機械学習はリアルタイムで行われ、レコメンダーエンジンと同じようにクラスタリングを行いますが、pol.isではグループを可視化することが特徴です。


他にも「vTaiwan」という、市民がふだん思っていることをSNS上に発信して、それに5,000人ぐらいが「いいね」してくれたら立法課題になるというシステムがある。

執行権に直接問題提起したり、その働きをチェックしたりする仕組みが模索されている。


現在動いている統治システムを思い浮かべてみよう。三権分立、間接民主制…これらは歴史の授業で習ったと思うけど、過去の失敗をもとに「公共のアーキテクチャ」を設計したものだ。

この10年、5年、なんなら数週間でも技術は変わる。毎秒変わってる。後戻りすることはできないし、流動性はどんどん上がり続ける。情報から、金融まで。

現行の統治システムは完璧な形だろうか?完璧な形など存在するのだろうか?未来のために思索する取り組みが必要だ。それがPlurality。

もっとプログラマブルなルールを作って、”Beam money”できるようになれば、ゲーム理論をもとに社会契約を作ることも可能だ

今まで経済学は論文でしか書けなかったかもしれないけど、Ethereumネットワーク内ならあなたのアルゴリズムをSolidityコードに落とし込み、実験することができる。

日本を代表する思想家でもあり、スマートニュースの代表でもある鈴木健のPICSYもそうだろう.

“複雑な世界を複雑なまま生きることは可能か”というタイトルから始まり、複雑系を把握し、イデオロギーを持ち、良さを定義し、そこに迫ることは可能か。

社会をネットワークとしてみたときに、人が知り合うとはどういうことか。インターネットはもちろん、「ネットワーク」の概念はより幅広いジャンルに応用できる。国家間の関係や、生態系の食物連鎖、細胞内のタンパク質など...

友人関係も、人を点(ノード)として。関係性を線(グラフ)としてして見ることが出来る

人間の社会は友人と友人が互いに友人であるような、そういう三角形が高い密度で重なることで構成されているのである(東浩紀)
人間の社会は友人と友人が互いに友人であるような、そういう三角形が高い密度で重なることで構成されているのである(東浩紀)

社会は決して個人の集まりではない。個人がいて、いきなり世界があるわけではない。家族や地域、職場などの人間関係の三角形がいくつも重なった中間集団(共同体)がいくつも存在し、社会はそれらがさらに重なることで成立しているのである。21世紀の科学はこの状態を、クラスター係数が大きいと表現する

カントによる永久平和設立の3つの条件

コミュニティの複数性

国家における継続的な成長とは、「国にもともと在籍している人々」と『外部からの人々』による継続的な国民投票であり、信任投票である。

大雑把にいえば、成功する国家とは、揃いも揃って移民を引き寄せる国家であり、失敗する国家とは、移民を失う国家である。

国家が無限に成長しなければならないわけでも、すべての国家が同じ種類の人間を受け入れる必要があるわけでもなく、のコミュニティは全体として、人々が参加したくなるような立派な社会を構築することに重点を置いているのだ。

国民の平均寿命の向上を前提としたDAOや、すべての人の所得分配を正しく変化させることを目的としたDAOを想像してみてください

https://thenetworkstate.com/

[誤配の理論] 東浩紀のネットワーク理論

みんな今日も誤配していってね!

複数の主体が関わり合うことでネットワークは活性化する: Science of Science

あれもこれもscience of science

https://twitter.com/desilo_jp
https://twitter.com/desilo_jp

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