世界はSNS全盛期からAI全盛期へと移行しました。
あまりにも急激な変化ですが、すでにコンテンツ発信の時代は終わったと言えるでしょう。
知識はコンテンツを探すまでもなく、AIに聞けばいいだけ。あまりに早く疑問が解決できるようになり、AIアシストで記事を書くことさえも億劫になってしまいました。
情報は大衆化し、わかりやすい情報だらけになってしまった世界。これからの情報発信は、より個人の関心に依存した個別化へと向かっていくでしょう。
しかし、わかりやすさからこぼれ落ちてしまったものがあるはずです。
わかりにくい事象、伝わりにくい事象、まだうまく言葉になっていない事象について、書いてみたい。その意義は残されているでしょうか。知識や情報伝達ではない何かを、残すことができるでしょうか。
言葉で伝えることは難しいことです。だからこそ、伝えることはゴールではなく出発点にすぎません。
わかりにくい事象を、わかりにくい表現のまま届けて、それから何が始まるのか、考えてみたいと思います。
実は、ずっと前から追いかけてきたテーマ。さかのぼると、2013年から書いてきました。
武田砂鉄. わかりやすさの罪. 朝日文庫, 2024. ISBN:9784022620873
ぼくの書きたかったことの半分が、この本に書いてありました。びっくり。