この記事は、Sarah Hamburg による「A Guide to DeSci, the Latest Web3 Movement」の翻訳です。本人の許可を得て掲載します。
スマートコントラクトやトークンなどのブロックチェーンツールを活用して、現代の科学を改善しようとする科学者や起業家が増えている。彼らの活動は、分散型科学(DeSci: decentralized science)ムーブメントとして知られている。
DeSciはまだ初期段階にあるが、2つの大きなトレンドの交差点に位置している。(1) 科学コミュニティにおける研究資金の調達や知識の共有方法を変えようとする動きと、(2) 暗号通貨によって所有権や価値を業界の仲介者から遠ざけようとする動きである。それでは、DeSciは具体的に何をするものだろうか?
私は神経科学者である。また、ウェアラブルデバイスのユーザーに対して、生体データ(脳のデータも含む)の完全な所有権と管理権をブロックチェーンによって提供するスタートアップの共同創業者でもある。近頃、あらゆる分野の科学者にDeSciへの参加を促すために、短いレターをNature誌に投稿した。このムーブメントが広がるなかで、オープンな公開討論の必要性が高まっている。そのため、DeSciがどのように生まれたのか、DeSciの特徴は何か、主な議題と未解決の問題は何か、最大の機会と挑戦はどこにあるのか、などを網羅した入門ガイドを作成することにした。
DeSciムーブメントの目的は、科学研究資金の強化、知識のサイロ化からの解放、利益追求型の出版社のような仲介者に対する依存の排除、分野を横断したコラボレーションの実現である。
科学者にとって研究資金の調達は特に大きな問題である。グラントの提案書の作成に時間の半分を費やしているほどだ。資金調達の成否は、研究のインパクトを定量化したh-indexなどの指標と深く結びついている。結果として「publish or perish(出版か死か)」のプレッシャーにより、重要だが世間の注目を集めにくい研究よりも、斬新な研究を追求することのインセンティブが高まっている。不十分であてにならない資金調達が要因となり、研究の全体量が減少するだけでなく、科学者が選択するプロジェクトに偏りをもたらしている。このことは再現性の危機といった問題にもつながっている。
情報へのアクセスも嘆かわしい問題である。科学はグローバルの典型的な公共財であるにもかかわらず、多くの科学的知識がジャーナルのペイウォールやプライベートなデータベースに閉じ込められている。10年以上前に登場した「オープンサイエンス」のムーブメントは、あらゆる種類のデータにアクセスできるようにすることを目的としていた。
オープンサイエンスの取り組みは、米国国立衛生研究所やその他の資金提供元が研究成果をオープンアクセスで公表することを義務付けるなど、広範囲に及んでいる。だが、それによって科学がどれだけ改善されたかについては、議論の余地がある。たとえば、こうした義務に対応するために「pay-to-publish(出版するなら金を払え)」のビジネスモデルを採用したジャーナルがいくつもある。現在、他人の論文を読むためにお金を払うのではなく、公的な資金を受けた科学者が自分の論文を出版するためにお金を払っている(Nature誌は論文1本あたり11,000ドル以上)。オープンアクセスの義務化により、大手出版社の手にますます権力が集中していると主張する学者もいる。
科学をアクセス可能にするという意味ではオープンサイエンスと同じだが、DeSciは「オープンサイエンス2.0」ではない。これから進化していくさまざまな目標を持った新しいムーブメントである。研究システムを再考するその他の取り組みと大きく違うのは、DeSciがブロックチェーンツールを使用している点だ。中央集権型所有権のWeb2モデルが、分散型共有所有権のWeb3モデルに挑戦されるなど、ブロックチェーンがさまざまな業界を破壊しているのと同様である。
科学にフォーカスしたブロックチェーンの取り組みは2015年までさかのぼる。だが、大きなムーブメントになったのは2021年である。新しいプロジェクトが爆発的に増えたからだ。これには、はじめて13 ETHで販売されたオープンサイエンスのNFT、NFTをオークションにかける研究グループの台頭、科学に特化した分散型自律組織(DAO)の成長、昨年10月のコミュニティ主導のブロックチェーンイベント「LisCon」におけるDeSciパネルディスカッションなどが含まれる。
現在のDeSciは、複数のDAOが緩やかにつながって混在している。資金調達、ピアレビュー、アクセス、インセンティブ、ペースなど、科学研究の特定の側面をターゲットにしているものもあれば、特定の分野にフォーカスしているものもある。リードしているのはバイオテクノロジーの分野であり、Molecule、VitaDAO、PsyDAO、Phage Directory、LabDAO、SCINETなどのDAOが存在する。環境科学のDAOも勢いを増している。DAO以外にも、個々の科学者が独自のリサーチトークンを立ち上げるなどして、ブロックチェーンを試している。
DeSciの活動は、理論的なアイデアや小規模な実験に取り組むところから、大学に研究資金を提供したり、独自のDAOを複数立ち上げたりといった高度なことまで、多岐にわたっている。
スマートコントラクト:科学者が無料で査読を行う一方、学術出版業界は仲介者として莫大な利益を得ている。Ants Reviewでは、スマートコントラクトが著者と査読者を直接仲介し、査読者にトークンの報酬を与える方法を示している。
インセンティブを与えるコミュニティ:トークン/NFTは、科学コミュニティにインセンティブを与えている。さまざまな種類の情報を共有、レビュー、キュレーションすることで、「スマートマニュスクリプト」(オープンソースのデータとプロトコルをリンクするもの)や論文集などのリソースに変えるためである。これは、知識共有および迅速な出版やレビューの新しいモデルになる可能性がある。より洗練されて管理されたバージョンの #AcademicTwitter と似ている。このようなコミュニティは、プレプリント(査読前に発表された論文)の品質や使いやすさを向上させる可能性がある。COVID-19の流行時に科学者がプレプリントに依存していたことからもわかるように、プレプリントは迅速な科学に不可欠である。
検閲への対抗:政治が科学に干渉することについては、複数の米国政権に対して異議を申し立ててきた。ブロックチェーンの「Permaweb」の特性(ユーザーがデータや情報を永久に保存し、いつでもどこからでもアクセスできること)は、科学の検閲を防ぐために活用できる。
ブロックチェーンによる資金調達モデル:前述の通り、研究資金を調達するために、科学者やDAOがNFTやトークンを実験的にローンチしている。また、今後の可能性として、以下のことが考えられる。
検証可能な評価(レピュテーション):科学者の評価、その結果として資金調達能力は、出版指標と結びついている。ブロックチェーンの技術を使えば、科学者は研究コミュニティが価値を認める活動(ピアレビュー、トレーニング、メンタリング、データのオープンな共有など)を行うことでNFTを獲得できる。NFTのコレクションは、貢献に対する検証可能なデジタル評価として機能する。さらには、そうした活動のインセンティブを高めることもできる。分散型研究所のような共有のウォレットを持った科学者や個人のグループは、このような方法で評価を構築することができる。
学術機関が学習をオンラインに移行するなか、DeSciエコシステムは従来の科学教育に代わる魅力的な選択肢を生み出す可能性がある。学生はコミュニティの作業に参加することで、学習とデジタルレピュテーションの構築を同時に行うことができるようになる。そうした作業には、従来は学位論文で行われていた文献レビュー、データクリーニング、分析なども含まれる。これにより、人々は学びながら科学に貢献して報酬を得ることができるようになる。インターネットに接続できる人なら誰もが科学の公共性に貢献できるようになる。そうなれば、歴史的に根付いた悪しきエリート主義を打ち破ることができるだろう。
所有権:オープンサイエンスは、巨大な商用プラットフォームが科学を独占するリスクがあると批判されてきた。DeSciエコシステムでは、ピアレビューや評価システムなどが、専門コミュニティによって管理されることになる。単一のプラットフォームに独占されるリスクを軽減すると同時に、急速に変化する技術や新たな脅威に対して、科学の陳腐化を防ぐのに役立つ。
さらにDeSciによって、コミュニティが科学的知識の新しい「株主」になることが可能になる(たとえば、DAOが所有するIP NFTを使用する)。このような資産から生み出された価値は、新しい知識創造の資金となる。それによって、自己持続型の科学エコシステムが構築される。数十年にわたる公的資金の研究に立脚した技術を使って開発された、COVID-19ワクチンについて考えてみよう。ワクチンの価格がオープンなコミュニティによって設定され、その利益がコミュニティが所有する科学の資金として還元されれば、世界の健康と繁栄に大きな影響を与えるだろう。
ムーブメントが具体化するにつれ、未知の問題や議論が発生している。
「DeSci」という名称は適切なのか? 分散はDeSciの重要な特徴だが、誰もがそれが決定的な特徴であると感じているわけではない。「Sci」が含まれていることを問題視する人もいる。芸術、人文科学、伝統的知識システムなど、その他の学術的追求を排除しているという理由だ。
ムーブメントの中心は何か? DeSciには明確な共通の価値基準が欠けている。現在、解決したい問題ごとにセグメントが定義されている。科学において新しい文化を生み出すためには、共通の原則の下にムーブメントを集結させる必要があるだろう。
DeSciは最終的に誰の利益になるのか? 現代の科学は、学術出版、高等教育、バイオ製薬など、さまざまな業界に貢献している。公共財としての科学が、最終的に「誰に」「何を」提供すべきなのか、ブロックチェーン技術がそれにどのように貢献するのかを理解するための評価が必要である。
DeSciはブロックチェーンの商業化の偏りからどのように科学を保護するのか? DeSciコミュニティは、基礎研究(特異遺伝子の発現の理解など)よりも商業化可能な研究(IPをもたらすプロジェクトなど)の資金提供に投票する可能性が高い。こうした偏りを軽減するために、DAOは商業化可能な研究の利益を基礎研究の研究資金として利用できる。あるいは、基礎研究の科学者がブロックチェーン技術を使用して、生成したデータのその後の使用状況を追跡し、それをもとに商業化した下流の研究からロイヤリティを受け取ることができるようになるかもしれない。
DAOがこれらの未知の問題にどのように対応するかはまだ不明である。そして、明らかな疑問が浮かび上がる。「このムーブメントはどれだけ分散化すべきなのか?」DeSciのプロジェクトは、これらの問題にどの程度まで統一的なムーブメントとして取り組むべきだろうか?あるいは、個々が独立して取り組むべきだろうか?
科学の品質:科学者でない人が、質の高いプロジェクトと質の低いプロジェクトを見分けることができるのか、という問題が提起されている。そのためには、堅牢なレピュテーションとガバナンスのシステムが不可欠になる。たとえば、認証された科学者が助成金の申請書を事前に審査したあとで、コミュニティが投票することができるだろう。あるいは、DeSciと伝統的な科学の橋渡しも品質の評価に役立つだろう。たとえば、医療慈善団体のような従来の資金提供者は、たとえ自分たちでは支援できなくても、高品質のプロジェクトを「承認」できるはずだ。
DAOはガバナンスのシステムを設計するにあたり、エッジケースを念頭に置くべきだろう。たとえば、地球平面説の支持者がコミュニティに大量に流入し、資金をそうした研究に振り分けようとしていたら、どのように対応すべきだろうか?
参加者の多様性:DeSciのコミュニティは、暗号通貨と科学の両方に携わっている人たちで構成されるだろう。どちらの領域も女性は少ない。(なかでも)ジェンダーの不均衡が、実際に結果をもたらしている。たとえば、女性の健康は歴史的に十分に研究されていない。科学に関する決定を下すグループが社会を代表していることが重要である。
DeSciプロトコルの構築:分散型科学の取り組みは何年も前から行われている(最も有名なのはBlockchain for Scienceだろう)。新しいプロジェクトは、これまでのプロジェクトの長所と短所を理解し、歴史を念頭に置いて構築すべきである。また、さまざまなブロックチェーン技術を試すべきだろう。特に、手数料が安く、環境への影響が少ない技術を試す必要がある。
ゴールの優先順位付け:DeSciは科学を改善するために新しいツールを試しているムーブメントである。DeSciが成功するには、これらのツールが表に出ることなく、科学者の日常業務にシームレスに統合されることが必要だ。したがって、DeSciは科学者が優れた科学を行えるように支援することにフォーカスすべきである。新しいツールにフォーカスすべきではない。そのことをユーザー調査によって確認する必要がある。
DeSciのムーブメントを知るのに役立つリソースのリストを紹介する。主要なニュースをチェックしたり、DAOに参加したりしたい人の役に立つだろう。
The DeSci Wiki:Jocelynn Pearl博士が中心となり、コミュニティリソースを構築している。既存のプロジェクトやその参加方法について学ぶことができる。
Twitter:小規模ながらも成長しているDeSciのムーブメントは、Twitterでその声を聞くことができる。コミュニティメンバーがプロジェクトについて発表したり、重要なトピックについて議論している。まずは、#DeSci と以下の主要なインフルエンサーをフォローしてほしい。
Twitterのその先へ:TelegramとDiscordは2つのデジタルスペースでは、DeSciの会話に参加したり、このムーブメントのアクティブなメンバーとつながることができる。