客の来ない店で番をし、よく乾いた木で筏を組むこと

こんな経験をした。

私が経営の顧問をしているカフェのバックヤードに、何年も埃をかぶったままになっていた作家ものの器の在庫があったので、棚卸しがてらセールをやろうということになった。仕入れ担当者はすでに職を離れており、残ったメンバーには商品知識がなかったものの、自分が食器集めを趣味にしていることもあって、作家のことを調べたり、値付けをしたり、棚のレイアウトをしたりといった一連の準備を引き受けた。当日は店番もした。

開店と同時に友人が来てくれて、いくつかの器が飛ぶように売れていった。その後、客足が途絶えた。たまに立ち寄ってくれる人はいても、売れなくなった。そのとき、楽しみながら行った準備のときには思いもしなかったような深さで、売れない商品のことを徹底的に考えることになった。なにしろ、そこには自分と商品しかないのだから、それらと向き合うこと以外にやることがない。

あとちょっと軽かったら、あとちょっと釉薬の色がきまっていたら、あとちょっと余計な装飾がなかったら、あとちょっと安かったら、あと一個在庫に余裕があってペアで販売できていたら……。売れていった食器と売れなかった食器の残酷なコントラストのなかに、実に複雑な陰影があって、その理由をつらつら考えはじめると止まらなくなった。終いには、自分が仕入れたわけでも次の仕入れの機会があるわけでもないのに、これらの器作家に会ったらどんなアドバイスをしようか、などと大それたことまで考えるようになった。

ちょっと店番をしたくらいで偉そうなことは言えないわけだが、その一日のなかに大きな発見があった。客の来ない店で番をしてる時間に、商品と真剣に向き合うことでしか醸成されないモノやマーケットを見る力が育つ。もしそれを5年10年と続けたら、いったいどれほどの眼力になることか。私は、日頃お世話になっている食器屋や本屋やレコード屋や思い浮かべて敬意を抱いた。そしてそれは、広告のセールスでもサービスの企画といった世界でも同じはずだ。私はそのとき、わずか一日の店番の経験を、自分が何年も何年も時間をかけている本業の話に敷衍していた。

その数ヶ月後、私の本業のほうで、あるプロジェクトへの協力を要請された。貢献できる自信があったわけではないが、楽しそうな仕事なのでまずは引き受けてみたところ、自分にはその仕事をやるだけの準備があったということを発見することになった。

私がやったのは、たとえるならば、筏を組んで海に浮かべるような仕事だった。そのためには、木をいくつも切り倒し、時間をかけて乾かしておく必要がある。そうした準備なしに良い筏は組めない。

プロジェクトに参加したあと、企画に使える材料がないかとバックヤードを漁ってみると、自分が過去何年もの間に取り組んできた仕事が、またいつでも使えるような状態で出番を待っていることに気がついた。私はそこから最適なものをいくつか見繕って、無事、航海に必要な筏を組むことができたというわけだ。

もちろん私は、その筏を作るために材料を集めていたわけではない。元々は別のことに使おうとしていたものだし、すぐに役立つ用途があるならそれにこしたことはない。売れない在庫を抱えてそれと向き合うのは、決して楽なことではないから。しかし、そうした時間の経過がよい結果に結びつくこともあるのだ。

すぐに結果が求められるような世界にいて、焦燥感を覚えないでいるのは難しい。そんなとき、客の来ない店で番をし、よく乾いた木で筏を組むという経験は、歩みののろい私を肯定してくれる特別なものに感じられた。

2021年12月25日 休みの日に一年を振り返って

Photo by Tom Fisk from Pexels

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