運は創るもの 私の履歴書(似鳥昭雄)
September 19th, 2022

East Venturesの村上です。

35期連続増収増益のニトリ創業者 似鳥昭雄氏の私の履歴書。

どこか抜けている所がありトラブルも多いチャーミングな面と、交渉事や資金集めといったここぞという場面、100店舗 売上100億円の30年計画をたった1年のズレで達成してしまう凄みが両立したお方。

以前見たこの動画も結構おもしろいので、おすすめです。

短所あるを喜び、長所なきを悲しめ

当時は極度のあがり症でうまく接客ができない。ところが嫁入りした家内の 百 百代 が販売上手で、私は仕入れや物流などの仕事に専念できた。

家内は愛想がいいだけでない。何でも高校時代は「女番長」だったそうで、度胸も満点。年間売上高700万円が採算ラインのところ、開業当初はわずか500万円。だが百百代は商売上手だった。結婚1年目から1000万円に達した。居住スペースだった2階も売り場にして2年目には1500万円にまで伸びた。結婚した翌年には長男が誕生したが、おんぶして接客していた。

おかげで私は配達と仕入れに専念できた。実はこの役割分担が似鳥家具卸センターを成長させる原動力になった。もし私が販売上手だったら、ただの優良店に終わっていた。私が苦手な販売を放棄し、仕入れや物流、店作りに集中したことで企業として羽ばたくことができた。

似鳥氏の資金の集め方

2号店を立ち上げようと、資金集めをしていたが難航していたが、一芝居を打って融資を引き出した。少々ヤンチャだが、執念を感じる。

あるとき鏡に映る自分を見ると、顔面蒼白で、悲壮感が漂っている。**「この顔にはお金を貸さないだろう」と思った。頰紅を塗り、血の気があるように装った。**母に言われたことを思い出した。「いつもにこにこしていないといけない」。満面に笑みをたたえ、地元の信用金庫に出向いた。

ここが最後だ。準備万端整えて朝一番で門をたたいた。資金の使い道などを支店長に説明すると、書類をそろえて後日来てほしいという。**そこで一芝居打った。「今日決めてほしいんです。北洋さんや北海道拓殖銀行も貸したいと言っています。一番近いし、親近感があったので取引をしたいと考えただけです」と噓を並べ立てた。**当時の融資で500万円以上というのは信金には大きな決断だが、こちらの自信満々の姿勢に賭けてみようと思ったらしい。

後年、だいぶ成長した後、保証になっていた拓銀などが倒産してしまい大変な頃のこんなエピソードも。

最後のとりでが住友信託銀行(現・三井住友信託銀行)。取引は少ないが、もうここしかない。2号店の融資依頼の時のように身なりを整えた。スーパーでスーツを買い、ピンクとブルーのネクタイをしめる。眉毛を描き、顔には頰紅。にっこりと笑い、初対面の札幌支店長に面会し、こう切り出した。 「今回拓銀がつぶれ、スイス銀に 50 億円を返済しないといけない。三菱も三井も貸してくれますけど、以前から住友信託は親切で、大好きでした。この融資を機会に窓口を広げ、当社のメーンバンクになりませんか」

そして「ただし今すぐ返事が欲しいのです」と畳みかけた。「株も持つし、支払いも任せますよ」と銀行が喜ぶ好条件を提示する。支店長は即座に本店の専務に掛け合うと「分かった。その代わり、ダメなときは支店長の責任だからな」との回答を得た。初対面ながら支店長は「似鳥さんは熱心だし、私も進退をかけましょう」と言ってくれた。交渉は成立。

米国での視察で目覚める

この時代の他の企業と同様に米国からエッセンスを取り入れている。

ハワイ経由で米国西海岸に降り立った。百貨店の「シアーズ」の家具売り場や家具専門のチェーンストア「レビッツ」などを見て回ったが、店舗とモデルルームの視察でまず驚いた。洋服タンスや整理タンスなど日本でおなじみの箱物家具がない。米国の家ではクローゼットの中に組み込まれているからだ。参加者は口々に「米国と日本は違う世界だね。食生活も文化もすべてそうだ」というが私はそうは思わない。「同じ人間がやっているんだ。日本人も便利さや安さを今以上に求めるはず」

実際に「米国風のまねをしてみよう」と実行したのは似鳥氏だけ

これまでの自分の悩みがちっぽけなものに思えてきた。帰国し、参加者の中で気のあった仲間と話し合った。「米国風のまねをしてみよう」。顧客のニーズを先取りすることで、競合店にも勝てる。結局、実行に移したのは私だけだった。現実にとらわれず、素直に実行することは私の持ち味だ。

交渉事は断られてからがスタート

3店目を出そうと融資をお願いしていたが、資金もなく倒産の噂も立っていたのもあり断られ続けていたが・・

**交渉事は断られてからがスタートだと考えている。大半は3回断られたら、やめてしまう。私は4回目からが本番だと考えるようにしている。**もっともしつこいだけじゃダメ。 愛嬌 と執念が大事。これはヤミ米販売時代の母の指導のおかげだ。銀行から融資を認められ、 73 年、 10 台分の駐車場を備えた 麻生 店が開業した。

店舗年齢を6歳以下に保つ

当時は理解できなかったが、店舗網が広がってからは忠実に実践した。現在のニトリの店舗の平均年齢は6歳以下に保っている。一度オープンした店でも出店先の町は5年、 10 年もたてば、人口や社会インフラなども変わってくる。**このため顧客が集まりやすい場所に移転するなど、リセットする。ニトリが成長しているのは店舗の若さを保っているためだ。**通常のチェーン店は利益が出ていると、移転や拡張投資は後回しにしてしまう。先手を打って、時代の変化に対応しておくことが成長を続ける条件と言っていい。

立地は持って生まれた勘

私は先生(ペガサスクラブの渥美氏)に叱られてばかりだったが、一つだけ褒められたのが店舗の立地だ。先生もよく言っていたが、出店地選びはトップの持って生まれた勘という。**勘の悪い人間はどれだけ勉強しても立地が悪い。先生は「似鳥君は他のことは良くないが、立地だけは見事だ。出店はニトリを手本にすると良い」**と仰っていた。

ペガサスクラブの渥美氏の至言

日本にチェーンストア理論を持ち込み、ダイエー中内氏やイトーヨーカ堂の伊藤氏、ジャスコの岡田氏を輩出し、日本の流通産業の礎を築いたペガサスクラブという団体の祖である渥美氏から学んだこと。

「成功体験など現状を永久に否定して再構築せよ。守ろうと思ったら、衰退が始まる」「ばくちを打つな」「上座に座るような宴席には行くな。常に下座で自らついで回り、先人から学べ」「誰よりも早く新聞を読み、頭に入れて、その情報を誰よりも早く発信しろ。経済新聞はもちろんのこと、地元紙、全国紙まで目を通せ。専門誌、週刊誌、月刊誌も暇さえあれば読み、良い記事は切り抜け」。経営者はハードワークだ。ビジョン達成へ向けて、「酒を飲んでも、何をしてでも365日 24 時間考えろ」と口を酸っぱくして語っていた。

人事への考え

人事への考え方も渥美流だ。「新入社員は 10 分早く来させて、 10 分早く帰宅させろ」「年功序列賃金で若いときは差をつけるな。 40 歳以上になったらスペシャリスト資格試験をさせ、数値責任だけで評価しろ。部長以上は今までのやり方と違う方法を提案して、再構築できる人間に任せろ」という。

先制主義

先制主義という言葉も印象深い。**「乗り物は他社より先に運転できるようにしろ。歩きから自転車、バイク、自動車、飛行機、ロケット。同じことをやったら先行者には勝てない」。**先生に心酔した私はできるだけ実践した。業界初の試みには率先して取り組んだと思う。

初期の頃の新卒の採用

大学に飯を奢ると言って採用しに行ったり、ニトリにもこういう時代があったことに勇気づけられる。

中小企業にはなかなか優秀な人材は来ない。やはり大卒の定期採用が必要だ。白いキャンバスに自由に絵を描くように、人材を育ててみたい。今でこそ、年間500人近くの大卒を採用する当社だが、創業期は本当に苦しんだ。

その前年に母校の北海学園大学に募集の貼り紙を出し、見に行ったところ、誰も見ていない。**そこで学生の集まる場所へ行き、「どんぶり2杯を食わせるから、話を聞いてくれないか」と声を掛けて回った。**食べている 10 ~ 15 分間に会社の説明をし、入社を促す。

ちょうど米国視察して間もない頃であり、米国の流通事情も説明した。関心を示した学生は「では今は何店舗ですか」と聞いてくるが、このときはまだ4店で売上高も4億円程度だ。それでも**「いずれ100店を作り、売上高を100億円にする」と大風呂敷を広げ、ロマンとビジョンを熱く語った。すると触発された学生が 15 人入社した。**

「お、ねだん以上。ニトリ」誕生

社内公募で決めた「お、ねだん以上。ニトリ」のCM放映開始もこの頃だ。  会社を一言で表現するわかりやすいキャッチコピーが必要だと感じた。コンクールを実施したところ、100ほど集まった。その中でピンときたのがこれだった。**初めは「お、ねだん以上、それ以上。ニトリ」だったが、顧客の頭に入るのは 15 文字以内という。**これではオーバーしてしまうし、「それ以上」の文言は外した。入れていたら、恐らくここまで浸透しなかっただろ

教育投資は惜しまない

50 ~100年後でもニトリが成長するためには、会社に理念に沿った経営が続いていく組織を作る必要がある。最優先なのが人への投資だ。とりわけ米国研修は 81 年以来、続いている。 15 年も6月に800人以上が参加した。費用は1人 35 万円になる。もちろん、私も一緒に行った。私は 27 歳の時に米国視察で大いに刺激を受け、「日本を豊かにする」という大志を掲げた経営に踏み出すきっかけになった。「鉄は熱いうちに打て」ではないが、若い社員にも是非、大きな志と目標をもってほしい。

このため米国視察を含め、教育投資だけは惜しまない。**1人当たりの年間教育投資額は約 25 万円で、上場企業の平均額より5倍は多いと思う。設備投資よりこちらの方が大事だ。経営環境が厳しいとき、教育費を削る企業は長期的に停滞する。**だからニトリの生命線である教育費と商品開発費は削らない。

ロマンとビジョン、そして「愛嬌と度胸」

人生は冒険であり、アドベンチャーだ。これからも仕事がすべての私だが、家内からは「判断がおかしくなったら、引導を渡すわよ」と言われている。手足を縛って、強制的に退場させてもらうしかない。  **ロマンとビジョン。そして同時に大切なのは男も女も「 愛嬌 と度胸」だと思う。本人の性格にも由来するが、相手を楽しませるサービス精神は忘れてはいけない。**困難な状況の時ほどリーダーにはユーモアが必要だ。とにかく自分で楽しみ、周りを盛り上げるのは子供の頃からの姿勢だ。

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