先日、レイ・ダリオが完全に引退した。
段階的に経営権の委譲を進めていたところ完了したという形。本でも触れられている。
そこでこれを機にずっと気になっていた「PRINCIPLES」をようやく読むことにした。(分厚すぎて敬遠していた)
結果、読んで正解だった。現象・現実を的確に言語化して、どううまく扱うかについて明瞭に書いてある。
投資や経営のみならず、人生における事象に再現性を持ってどう対処するかが綴られていて、何度も読み返したい本。骨太の内容の余り、一度では全てが理解できていない。
以下、メモ。後半部分は組織論が中心で、職業柄的にも正直いまの自分にはあまりフィットしない内容だった。
レイ・ダリオが一度、自信過剰に陥ってしまいキャリアの初期の方で破綻した経験からの教訓。
「私は正しい」と思う代わりに「自分が正しいかどうか、どうすればわかるだろう?」と自問するように変わった。そして、**この質問に答えるベストな方法は、私と同じ目標を抱きつつ、私と異なる見方をする独自の考えを持つ人を探すことだとはっきり認識した。**よく考え抜かれた反対意見を聞き、その根拠を理解し、自分自身をストレステストにかける。こうすれば、正しくなる確率を上げることができる。
言い換えれば、私は正しくありたいだけだ。**正しい答えが自分のものであろうとなかろうと気にしない。**そこで、私は私が見逃している点を指摘してもらおうと、思いっきり心を開くようになった。成功するためには次のことしか方法がないと悟った。
私と意見を異にするとびっきり頭のいい人を探して、彼らの推論を理解するように努力する。
自分の意見を持たないほうがよいときを知る。
時間を超え、どこにでも通用する原則を開発し、テストし、システム化する。
アップサイドのチャンスを大きく保ちつつ、ダウンサイドのリスクを減らすようにリスクのバランスをとる。
レイ・ダリオの思考の根幹的な部分
私も、以前遭遇した状況と同種の事態に出くわすと、以前の対応から学んだ原則を考える。だがそれまでに経験のないことであれば、ひどく驚く。辛い、**初めての遭遇を研究した結果、自分にとっては初めてであっても、いつかどこかで誰かの身に起こったことがあるものばかりだということがわかった。**そこで私は歴史に敬意を抱き、現実はどう機能するのか理解したい、普遍的な対応の原則を築きたいという願望を持つようになった。
同じことが何度も何度も繰り返し起こるのを見て、現実とは見事な永久運動機関だとみるようになった。原因が結果となり、それが原因となり新たな結果を招き……と続く。現実とは、完全ではないにしろ、私たちが対応するよう与えられるものだと思うようになった。
別の言い方として、マシンとして捉えている。
すべてが一緒になって動く複雑な機械のようだ。私たちは循環器、神経などの異なるマシンで作られているマシンだ。私たちの考え方、夢、感情、その他私たちに固有な性格のすべてがそれによって作られていく。このマシンすべてが共に進化し、日々遭遇する現実を生み出している。
これをすれば、「よくあること」を引き起こす大本のマシンがどう機能するのかが理解でき、対応方法が頭の中に描き出せるようになる。この因果関係の理解が進めば、さまざまな出来事の本質的要素が浮き上がってくる。どの「よくあること」に直面しているのかがわかり、それを切り抜けるのに適した原則を直観的に適用するようになる。
(中略)すべての人が同じことに遭遇するわけではない。地球上の異なる場所にいる異なる人は、異なる困難に出くわす。**それでも、私たちが遭遇する現実の出来事はたいてい何らかの範疇に入る。しかもその数はそれほど多くない。遭遇するたび(たとえば子供の誕生、失業、個人的な諍いなど)に書き留めて表にしてみれば、全部で200~300項目くらいに収まり、あなたに固有のものはわずか、2、3というところだろう。**試してみるといい。
2008年、週に80時間働いて投資の監督と経営を見ていたが、満足するレベルに達してなく、満足するには週165時間働かないとムリだった。しかしそれは不可能なため、これをきっかけに権限移譲を進める。
責任ある立場の人にとって**最高の成功というのは、自分がいなくても他の人がうまく動いてくれる状態だ。**その次のレベルの成功は、自分自身でうまくやることだ。最悪なのは自分自身でやってうまくいかない状態だ。自分の立場を振り返り、私とブリッジウォーターの驚異的な業績にもかかわらず、私はこの最高レベルの成功を達成していなかったことを自覚した。ブリッジウォーターが素晴らしい成功を収めていたにもかかわらず、私は、第二の成功レベル(自分でうまくやること)を達成しようともがいていたのだ。
あなたのマシンと呼ぼう。それはデザイン(やるべきこと)と人(やるべきことをする人)から成る。この「人」の中には、あなたやあなたを手伝う人が含まれる。
与えられた状況(つまりマシン)のなかで客観的に自分を見て、マシンのデザイナー/マネジャーとして行動するのはとても難しいことだ。普通は、マシンの中のワーカーという視点にとらわれてしまう。この役割の違いを認識し、ワーカーであるよりも、人生のよきデザイナー/マネジャーであることのほうがずっと重要だということがわかれば、正しい方向に進んでいると思っていい。
成功するには、「デザイナー/マネジャーである自分」は「ワーカーである自分」を客観的に見る必要がある。過度に信用してはならないし、できない仕事を任せてもいけない。この戦略的視点を持たずに、たいていの人は感情的に瞬間的に動いてしまう。そういう人の人生は、次から次へと方向性なく動く、感情的な体験の連続となる。
よい決定を下すのを邪魔する2つの大きな障害は、エゴと盲目という。この2つのせいで自分の置かれた状況を客観的に見るのを難しくし、人から最大限の助けを得て最善の決定をする邪魔となる。
また、人は、高次元な自分と低次元な自分を抱えていて、なにか感情的になる瞬間は低次元な自分に高次元な自分が負けてしまったときだという。
最適な選択肢を見ていないかもしれないと心底不安になれば、徹底的にオープンになろうという気になる。それは、エゴや盲点に邪魔されることなく異なる視点、異なる可能性を上手に探す能力だ。**つねに正しくありたいという気持ちを、真実を学ぶ喜びに置き換えることが必要だ。徹底的にオープンになれば、低次元の自分にコントロールされず、高次元の自分がすべてのよい選択肢を考慮し、最善の意思決定をするようになる。**この能力を身につければ──練習すればできることだ──もっと上手に現実に対応できるようになる。
つい自分の正しさを主張したくなってしまう弱さがでることがあるの、とても分かる。
徹底的にオープンになるためには: a. 最善の方法を知らないかもしれないと心底思い、「知らないこと」に対応する能力は、何であれ既知のことよりも重要であると認識すること。
最善の答えを求めているのであって、自分で最善の答えを得ようとしているわけではないことを忘れないように。 答えは自分の頭の中にある必要はない。外で探してもいいのだ。ほんとうに客観的に見ていれば、自分で最善の答えを見つける可能性は小さいし、たとえ見つけても、他の人に試してもらうまでは自信を持てないとわかるだろう。だから、知らないことを知るのはじつに貴重なことだ。自分の視点で見ているだけだろうかと自問しよう。もしそうであれば、ものすごくハンディを負っていると自覚しよう。
知識のある人に決定を託す場合もある。
私には複雑すぎて理解するのに時間がかかるとき、私よりも信頼性があり知識のある人に決定を託す。だが、彼らの思慮に富む反対意見は聞きたいと思う。普通そうしない人が多いことに気づいた。判断するのに適任でないにもかかわらず、自分で決定をしたがる人が多い。彼らは低次元の自分に屈しているのだ。
事実を求めて戦う気があるか。
**人生で唯一大きな選択は、事実を求めて戦う気があるかどうかだと思う。**何が事実かを探すことは、幸福になるために不可欠だと心底信じるか? 何か間違ったことをしていてそれが目標達成の障害になっているとしたら、ほんとうにそれを探したいと心から思うか? これらの問いに対する答えがノーであれば、自分の可能性をフルに生かすことはないと観念すべきだ。一方、挑戦に立ち向かい、徹底的にオープンになるつもりであれば、最初の一歩は自分自身を客観的に見ることだ。
1)よい決定をできなくさせるのは有害な感情だ、2)意思決定は、まずは学び、それから決定するという2段階のプロセスだ、ということを念頭に置くように
学ぶことと、決定するというプロセスが2段階であることを意識する。
学習は、決定の前にすることだ。(中略)どうやって知識を得ようと、どこに保存しようと、重要なのはそれが現実を正しくしっかり表すかどうかだ。それが決定に影響する。だから学習するときには徹底的にオープンな態度で信頼できる人を探すこと。そうすればつねに報われる。
だが、感情的な問題でこうすることができず、よい決定に役立つ学習を阻んでしまう人が多い。反対意見を聞いて害になることはないと覚えておこう。決定するということは、あることが「何なのか」を知り、その根底にある因果関係の仕組みを広く理解したうえで、検討して、「それをどうするか」という行動ステップを決めることだ。
望みどおりの結果を得るにはどうするかを描くために、時系列に異なるシナリオを作る必要がある。**これを上手にするには、一次的結果と二次的、三次的結果を比較検討して、すぐに出る結果だけではなく、将来的な結果も考慮に入れて決定すべきだ。**二次的、三次的結果を考慮しないと、辛い、悪い決定になってしまう。あまりよいとは言えない第一次の選択肢が自分の偏見にぴったりの場合には命とりになる。最初に出てきたオプションがどんなによく見えても、質問をし、探りを入れずに飛びついてはいけない。
この罠に陥らないように、私は自分にこう質問する。私は学んでいるか?しっかり学んだからもうそろそろ決断してもいいタイミングか?しばらくすると、自然に、オープンな態度で関連情報を収集できるようになる。そうすれば、悪い決定に導く最初の潜在的リスク、つまり最初に無意識のうちに決定してそれに都合のよいデータだけを集める過ちを回避できる。
大半の人は無意識に決定を下すので、上記のような方法で決定を下すようにする。
大半の人はたいてい低次元の方法に従う。そして無意識のうちに質の劣る決定をしている。カール・ユングは「無意識を意識するまで、無意識があなたの人生を導き、あなたはそれを運命と呼ぶ」と言っている。
もっと情報を入手してから決定したほうがよい場合もある。すぐさま決定するほうがよい場合もある。何が起きているのか統合してみるときに、大きいものと小さいものを選別するように、決定を待つ限界費用ともっと情報を得る限界効用をつねに秤にかける必要がある。優先順位を上手につけられる人は以下のことを理解している。
a. 「やらなければならない」ことはすべて、「やりたいこと」をやる前にすべきだ。「やらなければならないこと」と「やりたいこと」を分けるように。そして「やりたいこと」を間違えて最初のリストに忍び込ませないように。
うまく機能する原則を手に入れるには、 現実を受け止め上手に対処すること が不可欠だ。**現実が違うふうに動いてくれればいいのにとか、違う現実だったらよかったのにと願うような、よくある落とし穴に入り込まないように。代わりに、現実を受け入れ上手に対処しよう。**なんといっても与えられた状況を最大限活用するのが人生だ。