bot議員のすすめ
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December 10th, 2022

「支持政党なし」の意味と課題

「支持政党なし」という政党の問題意識

大真面目に「政策なし」を掲げる「支持政党なし」という名の政党がある。党名をみると人 をバカにしただけのふざけた組織にもみえるが、この政党は、一体何がやりたいのだろうか。彼らは、彼ら自身としての主義主張をもたず、議会で議決がある度に有権者から投票を募って、その投票の結果通りに賛否を投票するのだという。

仮にこの政党が議席を三つ持ちえたとして、投票の結果が賛成70パーセント、反対30パーセントだった場合、二票を賛成票とし、一票を反対票として投票する、ということになる。

この政党が議席を獲得した場合、議会のいくつかの議席(この場合、決議のための「票数」を意味する)が、政党の方針によって制御されるのでも、政治家個人の判断(人格・思想)によって左右されるのでもなく、その都度での集計=統計によって生じる国民(投票者)の集団的で直接的な意思に沿った行動をすることになる。

役人や政党の権力者によって制御もできず、事前に計算もできない、観測する(投票結果が出る)まで結果の分からない「浮遊議席」が、議会の中に存在することになる。それを、合議(政治)のなかに集合知(統計)という異質なものが混じってハイブリッドになる、と言うこともできるだろう。

現状の選挙という制度は、世襲や地盤引き継ぎによる優位など暗黙の不公平さがあり、さらに投票日の天気など、全く無意味で偶発的な要因に結果が大きく左右される。にもかかわらず、一度当選してしまえば長期にわたって権力を維持できてしまう。つまり、民意の反映ということに対して、とても「感度が鈍く」、そして「速度が遅い」。これを大きな問題であると考える我々は、「支持政党なし」のような試みに基本的には共感をもっている。

デンマークの「合成党」とアルゴリズム的政治という方向性

また、GiGAZINEの記事によると、デンマークには、議席を獲得できていない様々な少数派政党の政策を学習したAIを党首とする政党、「合成党(Det Syntetiske Parti)」があるという(現状ではこの政党自身が極めて弱小な「少数派」に過ぎないが)。

この党の目的は、常に選挙を棄権している20パーセントの有権者の声を代弁することだという。だが、多くの少数派政党の政策を学習することで、少数派の「合成(生成)」となったAIの判断が、そのまま「選挙を棄権する人々の意見」を反映することになるという理屈には疑問を感じざるを得ない(この点では「支持政党なし」のアイデアの方がシンプルで優れているだろう)。合成プロセスであるAIの透明性と説明可能性、正当性を確保するだけでも、相当の熟慮が必要になる。議席を獲得していない少数派の政党というと、日本においては、陰謀論やレイシズムを掲げる党がすぐに想起されてしまうという点でも危険を感じる。

ただここにも、個人の裁量(力量・能力・人格・思想)よりも、機械学習の成果(少数派政党の政策の「合成」)を重んじているという点で、「支持政党なし」と共通する傾向が認められる。合成される「政治家」は、自分の思想や状況判断によってではなく、アルゴリズムが自動的に導き出した結果に従うからだ。

これらの動きが表すのは、現状の代議員制が、選挙で当選した個人に対して、あまりに大きな権力を、必要以上に長い期間にわたって持たせてしまう(個人の裁量に大きく依存し過ぎている)問題についての認識が、現在の民主主義のあり方に危機感を持つ人たちにある程度は共有されているということかもしれない。選挙で権限を委任されただけの大統領が多数の国民が反対する侵略戦争を決意するのを止められる仕組みが必要なのではないだろうか?

別のテキストで指摘したが(「社会的シンギュラリティ、センサー計画経済、権力分立の未来」)、このようなアルゴリズム化の傾向の行き着く果てには、投票の必要すらないセンサー型民主主義が考えられる。​​​​​​​​映画を観ている時の視線の軌跡から、「注意の仕方」が似た人の好む映画を推薦する、というような、張り巡らされた莫大なセンサー技術と、全人類の思考がシミュレーションできるだけの計算を可能とする計算機がある世界ならば、センサーによる情報収集が投票行為の代替物となりうるだろう。民意が、常に自動的に収集され計算され続けている世界。そのような世界では、投票とマーケティングの区別がなくなり、センサー型民主主義=センサー計画経済となっていく。

だが、一足飛びでそこまで行くのは飛躍が過ぎるし、リアリティを欠くかもしれない。また、「(あるスキルに対し)特に優秀な人(専門家やエリート)の裁量」の余地を全て否定してしまうのは危険だろう。そして、現代的テクノロジーを根拠としたセンサー型民主主義は、十九世紀的な科学主義である共産主義と、一見客観的にみえる科学=技術という「強い」根拠をもつ点で共通している。かつて、その根拠の強さが、科学と称した空想的で遠い「革命後の共産主義社会」を信じることへの強制や恫喝と、その手段としての現在の苦痛に対する軽視へとつながり、さらにはそうした状況をうまく利用して立ち回る人間の独裁を生み、20世紀に凄まじい量の死者を生み出した事実も忘れたくない。抽象的な未来だけではなく、今、ここにある現状からも地続きで見えてくる未来として、政治の非裁量化=アルゴリズム化の可能性を考えるために、「支持政党なし」のアイデアについてもう少し突っ込んで考えたい。

アルゴリズム議員と裁量議員

ここでは仮に、これまで見てきたような「自分の意志を持たない議員」のことをアルゴリズム議員と呼び、通常の議員(仮に裁量議員とする)と区別したい。アルゴリズム議員は、裁量議員と対になる概念としての名だが、やや呼びにくいため、我々はここで(軽い自虐=アイロニーやユーモア的な緩さを込めて)「bot議員」という愛称を提案する。botとは、ここで勝手にWebページを収集してきたり、自動で株取引を行う比較的単純なプログラムという意味で使う。

勿論、すべての議員がアルゴリズム(bot)議員になるべきだと考えているのではない。たとえば、bot議員が(多くの機密事項を扱うであろう)外務大臣などになったら大混乱になるだろう。しかし、議会のなかに一定の割合でbot議員が存在すること(政党間の力関係とは別の要素が議会に持ち込まれること)には大きな意味があるのではないかと考える。

実は、「bot議員」のような存在はそれほど突飛な話というわけではない。たとえば、「知名度はあるが強い政治信条はなく、政党の幹部の意向に素直に従うので便利だという理由から党の公認を得ているだけの議員」は既に存在する。政党幹部や役人の「いいなり」になる議員が既にいるのであれば、それが集計結果の「いいなり」である議員に入れ替わっても大して変わらないだろう。実際、bot議員を実現させるために現状の制度をそれほど大きく変える必要はないのだ。しかし、その存在は、裁量の行使を強く制限された「政治家」という新しい委任形式を芽生えさせるだろう。

また仮に、選挙という制度が完璧に近い形で機能し、的確に民意が反映され、政治的力量を十分に持った政治家ばかりが的確に選ばれるようなったとしても、それでもなお、我々はbot議員が一定の割合で存在する方が望ましいと考える。

その理由は、我々には、「熟慮(=合議)」と「専門知(=エリート主義)」が、「多様性を持つメンバーの集合知(=統計)」よりもどんな場面でも優位であるという前提に対する懐疑があるからだ。集合知には、人間の認知限界を超えた判断ができるという利点や、どんなに優れた個人でも免れることができない無自覚なバイアスを中和できるシンプルな割にメリットの大きい可能性があるのだ。

「支持政党なし」の課題

ただし現状では、「支持政党なし」という政党が、彼らの主張を正しく執行してくれる信用してよい組織であるかどうかを判断をするのは難しい。

まず、当選した議員には大きな特権や権力があり、その権力を「自分自身の政治信条」のためには一切使わないということを、どのように保証できるのかも分からない。無所属として選挙に出た議員が当選後に与党に入党しても止めることが出来ないのと同様に、議員になった人がその権力を思う通り使ってしまうことを抑制するのは難しい。当選後に離党して好き勝手に活動することもできるし、決議の時だけ党(集計結果)に従うが、それ以外のところでは通常の「政治家」として権力を用いて政治活動をすることもできてしまう。これはどちらも「支持政党なし」の主張に賛同して投票した有権者を裏切る。

候補者は、政治的野心のない「裏切らない人」でなければならないが、党はそのような人をどうやって見つければよいのだろうか。また、有権者は、どうすれば候補者が「裏切らない人」だと判断できるのだろうか。例えば、裏切らなかったことが証明されてはじめて議員報酬が支払われる、というような仕組みを作ることができればよいのだが、現状の政党のあり方では難しいだろう。

同様に、政党としての「支持政党なし」の運営を信じることができるかどうかを、どのようにして判断すれば良いのだろうか。本当に、公表されている方針通りに、隅々まで誤魔化しなく党が運営されているかどうかチェックすることは難しい。この点について、他の既成政党と変わらず(裏取引や不正は可能であり)、新しさは認められない。

また、数多くある決議の全てにおいて、「集合知」と言い得るほどの投票数とメンバーの多様性をどのようにして確保するのかという問題もある。多くの有権者が関心をもつ議題であれば良いが、関心の薄い議題では充分な投票数を得られないことも考えられるし、特定のバイアスに傾いた均質な集団だと、そもそも多数である意味がない。

「支持政党なし」の議員は、立案された決議に参加することはできるが、政策を立案することが出来ない。自分の意思を持ってはいけないのでそれは当然だが、この「立案」の部分にもまた、集合知を生かすことができる方法があればなお良いのではないか。

「支持政党なし」をDAO(自律分散組織)で実現するなら

DAOとは何か

しかし、「支持政党なし」の試みをDAOで行うとすれば、これらの問題が解消される可能性がある、というのがこのテキストの提案だ。

DAO(分散型自律組織)とは、ブロックチェーンによって可能になる、中央集権的なリーダーをもたず、投票とスマートコントラクトによって自動的に運営される組織のことだ。ここで、スマートコントラクトとは、設定された条件がクリアされると、人による裁量を経ずに、自動的に決められた処理が行われる取引のことを指す。

ガバナンストークンと呼ばれるメンバーに割り当てられた投票権を用いる場合、その取得によって組織に参入したメンバーすべてが立場として(ある程度の)平等性を持ち、運営方針はオープンな議論とガバナンストークンによる投票によって決められる(その過程はブロックチェーンに改ざんできない形で記録される)。

つまりDAOとは、ブロックチェーンという技術により、(1)リーダーがいなくて平等性があること、(2)決められた契約が人の裁量抜きで自動的に実行されること、(3)運営方針や意思決定の過程が完全に透明であること、を実現できると期待できる組織のあり方を指す。

平等で透明であるという理念は美しく、ブロックチェーンがそれを可能にすると期待されることから、現在、さまざまなDAOの実験が行われている。しかし、そもそも、なぜDAOでなければならないのか、何のためにDAOであるのか、DAOであることにどのような利点があるのかについては(理念の美しさ以外は)、必ずしも明確でない。

もしかすると、権力者がいて多少チートがあるくらいの組織の方が、持続可能かつ強靱で、メンバーにとっても結果として幸福であるという可能性もある。今のところ、DAOという美しい理念のよい使い方ははっきりとは分かっていないし、分散していることのメリットが明らかであるような実例は未だ表れていないのだ。だが、「支持政党なし」の試みには、DAOであることに積極的な意味がある、DAOだからこそ可能な組織の実例の一つとなり得るのではないかと考えられる。

「支持政党なし」をDAOでやると何がよいのか

DAOのメンバーは原則として全員それなりに平等であり、その人が欠けたらDAOが崩壊してしまうようなリーダーは存在しない。この場合、メンバー(党員=支持者)のうちの誰が実際の人間としての立候補者となるのかは、有力者の裁量ではなくメンバーの投票によって選ばれることになる。またbot議員のメンバーには、リーダーシップや政治的力量という基準ではなく、なるべく政治的野心のなさそうな人に投票するインセンティブがあると期待していい。bot議員という制度にコミットしている時点で裁量ベースの議員に対する不満を持つ人間である可能性が高いからだ。まずこの時点で、メンバーによる「裏切らない人であるのか」に関する選考が行われる。

選挙のやり方や、投票結果からどのようにして候補者や出馬する選挙区を決めるのかというやり方は、あらかじめ明記され、スマートコントラクトにより自動的に運用され決定されることになるだろう。また、党の資金の流れ(助成金、寄付、議員報酬)や会計の仕組み、その運用方針も透明化される。例えば、裏切らなかった議員にのみ、段階的かつ事後的に報酬が支払われるという仕組みも、事前にスマートコントラクトとして取り決められていれば原理的には裁量なしに実行できる。

このやり方が原理通りに機能するなら「世襲」や「地盤の引き継ぎ」が難しくなっていくだろう。

DAOとしての党のあり方は、様々にデザインできる。先ほど、候補者や立候補する選挙区を投票で決めると書いたが、例えばそれを「くじ引き」とすることもできる。また、一度候補者となった人(あるいは当選した人)は二度と候補として立てないという規則を作れば、世襲を完全になくすこともできるし、癒着も防ぎやすい。そしてシンプルだ。

つまり、一つではなく複数の、様々なあり方の、様々にデザインされた「支持政党なし」があり得る。候補者を選挙で選ぶのか、くじ引きで選ぶのか、資金の運用や報酬がどのようにデザインされているのか、決議への有権者からの投票のシステムがどのようになっているかなどの違いによって、「党」や「議員」としての個性を主張することもできる。

bot議員はスマートコントラクトにより自動的に実行され、その過程も透明なので理想的には「嘘」をつくことができない。つまり、表向きは、候補者をくじ引きで決めると言っておいて、裏で談合が行われている、というような不正ができない。

もちろん、ランダムに選択するはずのプログラムが実は事前に予想可能な値を出力してしまい、それを利用したチートが起きるなど、わずかな隙ですぐ崩壊するのもブロックチェーンだ。だから、bot議員が理想的に機能しうるかどうかまでは分からない。

だが、様々な考え方をもつ人たちが、それぞれに様々なあり方のbot議員と実装を作れば、それは結果として、どのようなデザインならうまくいくのかの実験をしていることと同じことになる。あるやり方がうまくいかなかったとしても、別の人たちが別のやり方を考える。実際ブロックチェーンというメカニズムの歴史は、数年ごとの周期的破局の歴史でもある。

bot議員は、法案採決に参加できても政策の立案ができないという弱点がある。だがこの部分についても、カードゲームでデッキを組むようなイメージで政策パッケージを組めるようなやり方(システム)を考えることができれば、複雑な政策を集団で組み上げることも可能になるかもしれない。

繰り返すが、bot議員の誕生のために、現状の政治制度を変える必要はほぼない。ちなみに、衆議院の選挙区が全国でざっと300くらいとして、供託金が300万円とするなら合計9億なので、6000人の支持者が15万円ずつ寄付すれば、全ての選挙区でbot議員を立候補させることができる。これを、ハードルが高いと考えるのか、それほどでもないと考えるのかはその人次第だろうが、500兆円規模のシステムを動かすシステムの統計的バイアスや暴走を減らすのにこれだけで済むなら、コスパはいい。

ひとまず「まとめ」

今まで見てきたことを簡単にまとめてみよう。

まず、我々は、現状の選挙制度には、民意の反映に対する「鈍さ」と「遅さ」、そして無関係な要因への強い依存(選挙の時期や天候など)があり、それを改善する必要があると考えている。同時に、専門性や思想、人格、人気などの、政治家個人の裁量への過度な依存が、権力の固定化、腐敗(癒着)、暴走、ひいては独裁などに繋ってきたし、その被害は数千万人規模の死につながってきたという問題意識がある。

個人の政治信条や党の方針によってではなく、投票の結果に従って行動するbot議員というアイデアには、民意の敏感な反映という意味だけでなく、「個人の裁量」への依存に対するカウンターとしての「集合知」への通路が開かれる可能性がある。

重要なのは、bot議員実現のために制度を(おそらくほとんど)変える必要はないという点だ。体制側ではなく、立候補する側と有権者の側の意識が変わりさえすれば実現できる程度の軽い「革命」で済むし、輸出するのも簡単だ。

しかし現状のままの「支持政党なし」では、当選した議員が、その権力を自分のために用いず、政治活動もしないことを、どのように保証(信頼)することができるのか分からない。また、党の運営が、本当に表向きに宣言されている通りに行われているのかチェックすることが難しい、などの問題がある(例えば、候補者の選定や党の運営は結局は「党の有力者の意向(=裁量)」で決まるのではないか、など)。

そこで、「支持政党なし」をDAOとすることで、(1)全てのメンバーが対等となり、(2)決められたルールは人の裁量を通さず自動的に実行され、(3)運営の過程も全て透明、検証可能になるので、これらの問題点が解消されるのではないか、と提案した。

残された課題(ブロックチェーンの脆弱性や投票数確保問題)

「支持政党なし」の課題の節で取り上げた「課題」で、ここまで解決への糸口が書かれていないものが二つある。一つはブロックチェーンという仕組み自体の持続可能性や頑健性で、それが中央集権と暴力的強制に基づくシステムより安定しているのかは、まだ分からない。また、ブロックチェーンの基本的な仕組みは頑健だったとしても、bot議員というレイヤーを上に載せると、破綻するかもしれない。

第二は、個々の議題に対する「充分な投票数と多様性を確保する」にはどうすれば良いか、という問題だ。多くの人が注目する議題であれば多くの投票が集まるだろうが、地味で、注目度の低い提案への投票を人々に促すのは難しいし、似た関心とバイアスを持つ少数者が投票するだけなら、結局現在の裁量議員による制度と大多数が知らないうちに事を進める仕組みに戻ってしまう。

この点について根本的な解決は見出せていない。だが、例えば、bot議員は政治活動を行わない代わりに、様々な議題に関する、情報収集、調査、情報や問題点の整理を行い、それをもとに、注目度の低い議題に対して、その意義について積極的に広報とレクチャーを行うことで有権者の注意を促す、ということはできるし、メンバーがbot議員用のアプリなどでみるニュースのレコメンドアルゴリズムに何らかの工夫を施すという手もある。たとえば、別の所で提案した苦痛トークンもそうしたことを実現するメカニズムの一つだろう。

また、個々の有権者に対しては、自分自身の政治的、思想的傾向を、自分自身がより細やかに知ることを助けるような、政治思想の自己診断ツールのようなものを作り、自分が求める政策の傾向を、より高い解像度で(意識化して)知ってもらうことで、積極的な投票に繋げることは可能ではないか。それについてはたとえば、ミラーバジェットも参考のこと。

ヴィジョンの必要性

なぜ、地に足のついた地道な活動や既存政党を通じた権力闘争を行うのではなく、こんな突飛なことを考えなければならないのか。現実的にはどの政党が政権を握るかしか意味を持たないのではないだろうか?

著者たちは、なんだかんだ言っても、社会がリベラルで民主主義的なものであって欲しいと願っている。しかし現状、既存の民主主義に絶望したり、疲れてしまったりした人たちが、カリスマ的全体主義や保守主義や権威主義的な傾向に流れて行ってしまっているさまを目の当たりにしている。ナチスを生んだ20世紀初頭と似た構図だ。

そして正直、その気持ちは分からないでもない。リベラルな民主主義は、あまりに多くのもの(責任・正義・倫理・正しい選択)を私たちに要求してくる。それらは理にかなったことであり、拒否したいわけではない。しかしその実行はかなり大変なことだ。そして、個人的な報酬はほとんどないか、マイナスになりうる。

ならば、多少なりとも「未来への希望」のようなものを持ちうる形の「民主主義」像が必要ではないかと考える。たとえ「私」が生きているうちに実現される可能性が低いとしても、民主主義にはその先の「未来」の可能性があるというヴィジョンが、リベラルな民主主義の「重荷」と実行時の無意味さに「疲労しない(絶望しない)」ためには必要ではないか。

現体制への都度都度での批判は重要であり、必要だが、そればかりやっていると疲れてしまうし、疲労の果てには、絶望による反動化が待っている。だから我々は、机上の空論と言われても未来の希望について語る。

だが希望としてだけでなく、現実的に考えたとしても、変化の遅い政治世界と変化の速いIT業界の間をとって、今後十年くらいの間に、bot議員が最初の議席を獲得する可能性は充分にあるのではないかと我々は考えている。そして、長期的に見ればbot議員が増えていくという可能性も低いものではないと考える。現状の政治家=代議士(裁量議員)というあり方に対して疑問を感じる人は少なくないはずだし、bot議員の方が民主主義の本来の姿に近いとも言えるからだ。そして、集合知は個々の人間の認知限界を超える可能性を持っている。

現在の民主主義に絶望したなら、なぜ権威主義を選ばないのか?すぐれた個人にすべての権限を集中すれば無意味な手続きへの疲弊は起きないのではないか?多くの優れた知性がこのようなタイプの推論で権威主義をむしろ好むようになる。

しかし、ここまで述べたように我々には「個人の裁量」に過度に依存することへの警戒が強くあり、それが容易にカリスマ的(独裁的)全体主義に繋がると考えている。そして、一度成立してしまった「独裁体制」は非常に強固で、崩すことが極めて困難になる。そのとき、いかに優れた権威主義や全体主義がありえたとしても、悲惨な崩壊を迎えるというのが歴史が教えるところだ。

いずれ世界に、bot議員と裁量議員とが、半々くらいで存在するようになるのではないだろうか。

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