条件、目標、制度、三つ揃わないと政治的チートが起きる

1. 政治思想における「条件(Conditions)」「目標(Goals)」「制度(Mechanisms)」

1-1. VECTIONが過去に行った提案

我々は、以前に、組織の望ましいあり方の「最小限の理想」としてPS3(苦痛最小化Pain reducing、持続可能性Sustainability、、スケールをまたいだ安定性Scalability、セキュリティSecurity)という提案をした。

ここで言う「理想」とは、恐らく通常の用法とは異なり、「到達点」というより、組織が存続し得るために満たしておくことが望ましい条件(Conditions)として考えられている。例えば、当然であるが持続可能性がなければ組織は存続できない。だが、存続のためにメンバーに限りなく苦痛を強いる組織であれば、その組織は望ましくない。組織の持続のためにセキュリティは重要だが、セキュリティの強化がスケールを跨いだ安定性を妨げてはいけない、というような使われ方をしている。

また、その一方で、苦痛トークン、ミラーバジェット、bot議員など、様々な制度(Mechanism)の提案もしてきた。

これらの制度(Mechanisms)が「良い」ものであるという直感が我々にはある。また、これらの制度が、組織の最小限の理想(=条件)と考えるPS3の実現を叶えるために有効であるはずだという感触を持っている。しかし、そもそも、これまで別々に考えてきた条件とメカニズムはどのような関係を持つべきなのだろうか?

以下では、そのことを、政治的なチートが起きる状況の識別と絡めて考えてみたい。タイトルにもあるように、条件やメカニズムなどの一部だけしか考えないと、それを利用したチートができる可能性があり、理想を求めて始まったはずの運動が、真逆の怪物になりかねないからだ。

1-2. 条件とメカニズムの間をつなぐ「目標(Goals=​​​​​​Vectionism)」

そのような視点から振り返ると条件(Conditions)と様々な制度(Mechanisms)との間を繋ぐものが足りないように思われた。つまり、何が個々の制度のゴールであるのか明確には提示できていない。ゴール=目標とは、組織が実際に「どのような状態」であることが望ましいと考えているかということであり、それはつまり我々の思想を、条件よりは一段具体的なかたちで表現するはずのものだ。だから、とりあえず、そのゴール(目標 Goals)をVectionismと呼ぶことにする。そして、我々が考える「目標(Goals = Vectionism)」は、整理すると以下のようになった。

Pain reducing 苦痛の総量をできるだけ減らす

Trial handiness  トライ&エラーをできるだけ軽くする

Decision making with high quality 情報技術で集合的意思決定をできるだけはやく、高品質にする

Discretion reducing ルール作成者・運営者の裁量をできるだけ減らす

ここで「できるだけ」が繰り返されているのは条件を満たす範囲で、というイメージを考えているからだ。

1-3. 目標(Goals=Vectionism)と条件(PS3)の関係

Vectionismとして挙げた「Pain reducing」「Trial handiness」「Decision making with high quality」「Discretion reducing」と、先に掲げていたPS3(苦痛最小化、持続可能性、スケールをまたいだ安定性、セキュリティ)とは、「PS3(条件)の実現のためにVectionism(目標)が奉仕する」という、依存関係になっている。

それは、Goals(目標)としてのVectionismがうまくいっているかどうかの評価基準がPS3(条件)だということだ。例えば、「集合的意思決定がはやくなること(目標)」が、「苦痛の最小化(条件)」に本当に貢献しているのか、貢献しているとしてどの程度なのか、によって「目標」の妥当性が測られる、ということだ。仮にこの関係をまとめて次のようになったとしよう。

・「苦痛の最小化(条件)」のために「苦痛の総量最小化(目標)」が必要

・「持続可能性(条件)」のために「集合的意思決定の速さと質(目標)」が必要

・「安定性(条件)」のために「トライ&エラーの軽量化(目標)」と「集合的意思決定の速さと質(目標)」が必要

・「セキュリティ(条件)」のために「トライ&エラーの軽量化(目標)」と「裁量の最小化(目標)」が必要

もちろん、この条件と目標の関係は一例に過ぎないが、重要なのは条件と目標の関係が明示されていることだ。何か例がないと分からないので一例としてPS3を挙げたが、もちろん、この条件のレベルで色々な方向性や組み合わせがありうる。だが、ここで扱うのはその話題ではなく、仮に条件が固定できたとして、その後に生じる問題だ。

1-4. 目標(Goals=Vectionism)と制度(Mechanisms)の関係

先に述べたように、PS3(条件)の方が抽象度が高く、Vectionism(目標)はそれに比べるとやや具体性ができている。そしてさらに、Vectionism(目標)の実現手段を考えると、リンク先で挙げた、「苦痛トークン」や「bot議員」などといった、より具体的なMechanism(制度)が必要になる。

例えば、

・「Pain reducing 苦痛の総量をできるだけ減らす」(目標)
→「苦痛トークン」(制度)

・「Trial handiness トライ&エラーをできるだけ軽くする」(目標)
→「仮想政府」「bot議員」「ミラーバジェット」(制度)

・「Decision making with high quality 情報技術で集合的意思決定をできるだけ速く、高品質にする」(目標)
→「bot議員」「ミラーバジェット」「苦痛トークン」(制度)

・「Discretion reducing ルール作成者・運営者の裁量をできるだけ減らす」(目標)
→「マルチレイヤーサイクル」「ミラーバジェット」など、あらゆる分散化・公開・自動化の技術(制度)

ここに挙げた各々の制度(Mechanisms)については既に他の場所に書いているので参照されたい。

苦痛トークン

・マルチレイヤーサイクル

ミラーバジェット(ストリーミング投票)

・仮想政府

bot議員

1-5. 条件(Conditions)目標(Goals)制度(Mechanisms)の依存関係、まとめ

今使っている例でいうと、条件と目標と制度の関係は、以下のような依存関係にある。

条件(Conditions)=PS3
の実装(手段)が、
目的(Goals)=Vectionism
の実装(手段)が、
制度(Mechanisms)=苦痛トークンなどの個別メカニズムの集まり

こう書いてみると当たり前のことだが、これらの関係を考えることに何か積極的意味があるのだろうか?

条件x目標x制度 、あるいは、条件+目標+制度。xに積と+に和のような意味があるなら、左はどれかがゼロなら全体もゼロ、右はどれかゼロだとしても、他ので補うことができる、という関係性を表すだろう。この二つの表現の違いに象徴されるような微妙な、しかし、結果に大きな変化を生む違いをみると、それが分かるかもしれない。

2. 政治思想と、「条件(Conditions)」「目標 Goals)」「制度(Mechanisms)」の積算関係

2-1.「条件(Conditions)」「目標 Goals)」「制度  (Mechanisms)」の三つ組を同時に考えないことの弊害

ここまで、VECTIONとしての主張を書いてきたが、その趣旨は、以下に集約されるだろう。

文章の主張:多くの政治的問題は、条件(Conditions)、目標(Goals)、制度(Mechanisms)の、どれかを無視することに起因する。

例えば、最もわかりやすいのは、ただ目標(Goals)のみを主張し、条件(Conditions)や制度(Mechanisms)について全く触れない場合だ。

スローガンやマニュフェストがあるだけで、その状態へ至る道筋が全く見えないという状態はしばしば見掛けられる。この場合、実現可能性やその道筋の言及がないので、いくらでも高い理想を掲げることができる。だがしかし、どのようにそれを実装するかについては、検討することができない。それはつまり、実際にはやる気がない(あるいは意図的にやらないのに雰囲気だけ作る)ということと同じになってしまう。具体的に名指すことは避けるが、具体性が無く高圧的であるような理想主義が、多くの人のリベラルへの不審(あるいは、「どうせ出来っこない」というニヒリズム)に繋がっていると考えられる。

また逆に、制度(Mechanisms)の詳細のみがあって他の二つがないという例もしばしば見受けられる。

この場合は、制度は具体的に設計され、実装されるとしても、それが何に使えるのか、何を守ろうとしていて(Conditions)、どのような状況改善に貢献するのか(Goals)が明確ではないと、ただの目新しさで終わってしまう。これは、手を動かすのが好きな、物を作る系の人が陥りがちな罠とも言える。

例えば、単純な多数決ではない、工夫された様々な投票制度が考案されている。が、目標(Goals)や条件(Conditions)が明確でない場合には、そのうちのどれを選択するのが適切であるかの根拠がない。メカニズムを提案した人がたまたまリベラルだから、それを補強するような制度を良いものとして選んでしまう(もしくは暗黙の裡に強要する)。また、元々あったはずの目標(Goals)や条件(Conditions)が見失われてしまっているようにみえるブロックチェーンやDAOも、残念ながら現状ではその一例かもしれない。

最後に、条件(Conditions)のみがあって他がない場合。そもそも条件は、最も抽象的なので例を作るのが難しい。だが、例えば有名な「アローの不可能性の定理」というものがある。「社会選好に関する二つの公理と、民主制のための四つの条件の全てを満たす社会厚生関数は存在しない」と要約されるこの定理(ここでは公理や条件の詳細を示す必要はないだろう)は、民主主義の限界と限定性を提示するものだと言われる。これは、前述したVECTIONの条件とは異なる条件だが、社会のあり方について一つの条件(Conditions)を示すものである。

アローの定理は、定理としてそれ自体は正しいのだろう。しかしその内容が、「現実の社会の中で、何が実際に可能で、何が可能でないのか」を明らかにしているわけではない。定理証明のために必要な条件が現実にどの程度満たされているのか分からないので、その効力範囲も分からないのだ。たとえば、人が何かを選択する時、その選択とは違う選択肢とは無関係に選ぶ、とか、人は選択の際自分自身の得失については完全に予見できる、というような条件がもしあったら、現実とはだいぶ異なる。

条件(Conditions)が、それ自体は間違いのない形で提示されていたとしても、それだけではそこから現実(実現)への通路が見えない。「間違える」ことが許されないアカデミズムにおける議論などでは、このような「それ自体で閉じた正しさ」から出られない場合がしばしばある。さらにいえば、「現実に適用する場合、多くの条件が成り立たず、なにも理論的主張ができなくなるなら、なるべく理論を現実に触れさせない」というインセンティブが働くかもしれない。

2-2. 分断を利用すると、チートができる

とはいえ、条件(Conditions)・目標(Goals)・制度(Mechanisms)のどれか一つに絞って追求するという分業は、個人としての認知や能力、人生の時間などに限りがある以上自然なことだともいえる。また、制度(Mechanisms)の実装や条件(Conditions)の証明といった数理的に組み立てうるものは、特定の目標(Goals)や具体的な条件(Conditions)に囚われない、汎用的で、普遍的な道具であることこそ美徳であるともいえる。

しかし、これら三つが分断されていること自体を利用するとチートができてしまうところに、大きな問題がある。

実現する気がないのに口先だけで立派なことを言って他人を威圧することで優位に立とうとする「マウント」などが分かりやすい例だが、そのようなあからさまに悪意があるものだけが問題なのではない。

例えば、​​​​​​​​環境(Environment)、社会(Social)、企業統治(Governance)に配慮している企業を選別して投資を行うというESG投資の理念(ここでは目標=Goalsに当たる)は、本来は不正を行う下心を隠しもったものなどではなく、善意と正しさの実現を目指して始められた運動だろう。少なくとも文字通りではそうだ。

この場合、条件(Conditions)としては、人がよく生き得る様な、地球環境、社会環境、労働環境の実現とその維持(持続可能性)などが挙げられる。ただしこの場合、「ESGに関する評価を行う機関」と「投資を受ける企業」そして「投資家」の三者の間に起こり得る、癒着や、それによって可能になる不正を防ぐ具体的な制度(Mechanisms)がない場合、それ自体としては善いものであるはずのESG投資の条件(Conditions)や目標(Goals)が有名無実化してしまい、善い条件や目的が不正の隠れ蓑として使われてしまう。

故に、条件(Conditions)・目標(Goals)・制度(Mechanisms)の三つがきちんと揃っていることが必要なのだ。しかし、「揃っている」とはどういうことなのか?現実にそれぞれの項目がオンオフで達成されることはないので、それらは量的な評価になる。さらに量的な評価をまとめあげる作業も必要になる。それはどのような方針で行えばいいのか?

2-3. 条件、目標、制度を掛け算で評価する

条件(Conditions)・目標(Goals)・制度(Mechanisms)の三つが揃っている度合いについては、足し算ではなく、掛け算(積算)で評価される必要があると筆者たちは考える。

足し算ならば、どれか特定の一つにだけ注力して合計点を上げることができる。しかし掛け算であれば、三つの項目のうちの一つでもゼロならば、合計点もゼロになる。それによって、三つの項目のうちの一つだけ、あるいは二つだけを立派な構えに見せておいて、残りの一つの曖昧さを覆い隠すことで可能になるタイプのチートなら、防ぐことができるはずだ。

条件(Conditions)・目標(Goals)・制度(Mechanisms)(略してCGM)の、どれか一つでも欠けていると、そこを戦略的に利用(悪用)する人が出てくるという構造が現にあるのだから、たとえ、それぞれがイマイチであるとしても、どの項目も欠くことなく「三つ揃っている」ことそれ自体を評価する枠組みが必要ということだ。

この章の表題にある「条件(Conditions)・目標(Goals)・制度(Mechanisms)の積算関係」とは、このことを意味する。

また、CGM(Conditions・Goals・Mechanisms)の積算評価という枠組みそれ自体は、特定の政治思想とは無関係である。前述したPS3やVectionismは、たまたま、このテキストの筆者たちが「良い」と考えている政治信条にすぎない。が、それとは異なる、これら以外のどんな政治信条であっても、原理的にはCGMの枠組みに従って記述することができるはずだ。フォーマットが揃うことは、異なる政治的思想を、同じ枠組みのなかで評価・検討することのできる土台となる。

極端な例として、権威主義や、貴族主義的政治の場合を考えてみると、

・権威主義

(Conditions)個人よりも伝統と権威を重視すべきである、など ?<(Goals)国粋主義の復活< (Mechanisms)教科書の変更

・貴族主義的政治

(Conditions)一人でもいいので新しいタイプの人類(超人)の創出が必要である <(Goals)少数の優れた個人に権力を集中させる<(Mechanisms)終身主権者の制度的許容など?

「?」となっているところは、筆者たちには即座には思いつけなかった部分だ。権威主義がどのような条件(Conditions)を目指す思想なのかよく分からないし、貴族主義が優れた個人を選び出す(探し出す)とき、具体的にどのような制度(Mechanisms)でそれをしようとするのかも、よく分からないし、ここで簡単に論じるのは難しい。

筆者たちからみて問題があると思われる政治勢力は、多くの場合、CGMのうちの一部を、(外部に対しても、仲間たちに対しても)隠蔽することで成り立っているようにみえる。だから、そのような勢力は、自分たちの思想をGCMの枠組みで書くことができない。そのような勢力(集団)に対して、何を目指し、どのような枠組みで達成度を評価し、具体的にどのような制度を採用しようとしているのかを問うことには意味がある。この問いに答えられない(答えない)ということそれ自体が、強力な指標になるからだ。

3. 継続的自動チェックとCGM

3-1. 達成度を自動的に示すインターフェイスの必要性

先にもリンクを貼ったが、以前、VECTIONではbot議員という制度(Mechanisms)を考案した。

しかし、仮にbot議員の実装が動いたとしても、それによって、どのくらいの苦痛が減り、意思決定が高品質・高速化し、トライ&エラーが促され、権力者の裁量が減らされたのかが、常に見えているような指標がないと、ただ自動化しただけ、ただ意思決定を分散化しただけでCGMが欠けているかどうかチェックする仕組みができない。

ある制度(Mechanisms)が、単なる技術のための技術ではない、CGMのMechanismsだけに注力しただけの場合とは違うということを(あるいは逆に、思ったよりも効果がないことを)分かりやすく示すことができるような、一目でわかるようにビジュアル化されたインターフェースや統計を取り続ける仕組みが必要だろう。

理想的には、Conditions、Goals、Mechanismsのそれぞれが、どれくらい達成されているのかが、電光掲示板のように常に表示され続けているインターフェースがどこにでもあるのが望ましい。

先に紹介した「ストリーミング投票(ミラーバジェット)」や「苦痛トークン」は、この掲示板に一指標を提供する制度(Mechanisms)だ。そして、これら以外の別の制度(Mechanisms)を考え、追加することもできる。

このようなインターフェースがないと、bot議員がちゃんと働いているのか、それが例えばVectionism(あるいは、それ以外のGoal)を達成するために努力をし、効果を挙げているのかについて、皆が知ることができない(その是非を、評価、検討できない)。

こうしたことのかなりの部分は自動化が可能であろう。そしてこの自動化は、自動化のための自動化、分散化のための分散化とは異なる。条件(Conditions)・目標(Goals)・制度(Mechanisms)の、どれかを抜いて誤魔化すことができないようにするための自動化なのだ。

3-2. CGMを記述するドメイン特化言語の必要性

自動化の文脈では、本質的には上のCGM自体を形式言語で書いて、メカニズムの統計まで繋ぐ仕組みがないと、自動化ができない。

AIで自然言語の記述から意味を通じて繋ぐこともできるだろうが、こういうプロトコル的なことに関しては、形式言語ではっきりとした記述、できればメカニズムの名前からそのコードまで繋がるような仕組みや、CGMの依存関係を記述できる言語、曖昧さや誤魔化しの余地がない形式言語が必要になる。

たとえば、AIを使って自然言語で作ったCGMからプログラムを生成したり、統計を取ることも可能になるだろうが、そのAIが嘘をついていないか、意味を取り違えていないかをチェックする必要がある。自然言語の曖昧さを使ったチートはCGMとはまた別のレベルに存在し、人間の政治家にとっても、とても重要な武器だが、意図を隠して他人を誘導する動機がある時点でフェアとは言えないだろう。

人間であれ、AIであれ、良くわからないことを消去したり、はったりで埋めたりする存在は社会にとって危険なのだ。

ただし、AIの場合、推論過程を分解して嘘をつく過程を分解することや、多数の独立したAIを相互の影響なしに使って答え合わせをすることができる。人間の場合はどちらもできないので、上手い使い方を発見すれば、AIによるbot議員のような、CGMの柔らかい運用も可能かもしれない。

CREDITS

原案・文章レジュメ:西川アサキ
文章作成:古谷利裕
推敲:VECTION

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